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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 554

『藝文おりおり草』(奥野信太郎著)

2014/07/24
アイコン画像    怨念の日本vs明朗な中国
幽霊・仙人に見る日中の違い

 新刊を心待ちにしているシリーズのひとつに、『僕僕先生』(仁木英之/新潮社)がある。ニートのような青年・王弁が、少女の外見をした仙人・僕僕と各地を旅して回るという中華系ファンタジー小説だ。

 仙人、というのがこの小説のポイントだが、よくよく考えてみるとこの仙人、不思議な存在だ。ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」にこうある。


 〈道家の理想とした想像上の人物。人間界をはなれて山中にすみ、不老不死の法を修め、神変自在の術を体得したものとする〉


 『万葉集』に用例が確認されているので、遅くとも8世紀後半には、日本にこの言葉が入って来たことがわかる。

 中国文学者・奥野信太郎の文学エッセイ『藝文おりおり草』を手にとって、なるほどと膝を打った。


 〈仙ということば、これはおそらくどこの国のことばにも訳しにくい中国語の一つではあるまいか。

 そのことばが訳しにくいということは、それに相当するほかの国のことばがないからであることはもちろんであるが、それと同時にそのことばの内容もまた中国独特のものであるからである〉


 著者は続けて、〈仙の思想がかりに日本にあったとしても、それは古代中国のそれが渡来してきたもので、結局は借りものにすぎない〉と看破するが、その通りだろう。

 逆に言えば、中国には、オリジナリティ溢れる「仙人」を生み出す“何か”があったと言うことである。

 著者はそれをこんなふうに解き明かす。


 〈人間にとって死ということほど厳粛なまたもっとも厭うべき問題はない。中国人は仙人を空想することによって、まずこの暗さから逃れようとした〉


 中国人は“明るさ”を希求したというんですな。

 この明るさは他にも通底しているらしく、例えば幽霊。日本の幽霊が、〈怨念〉をベースに〈涙話〉に終始するのに対し、中国の幽霊は〈陽気〉ですらある。じめっとした日本とは異なり、中国は〈明朗な怪談〉だというのだ。

 怨念や涙は、狭い世界での非常に個別の話だ。私の悲しみや恨みをわかって頂戴、という甘えとも受け取れる。広い世界では、こんな甘えは許されない。だからカラッと明るく突き進むほかない。「仙人」は、嫌な現実をしばし忘れるための方便なのだ。


 あぁ、私も仙人になりたい……。

本を読む

『藝文おりおり草』(奥野信太郎著)
今週のカルテ
ジャンル随筆/文学
刊行年・ 舞台1958年刊行・中国、日本
読後に一言「生涯にわたって取り組むものがある」という幸せに溢れています。著者の場合は、中国文学ならびに中国ですが、こうした生き方に憧れます。
効用異文化に対する距離感がいい!
印象深い一節

名言
(日本の幽霊出現の原理は)あくまで情緒的であり、心理的でありますが、中国のほうの“ハク”(魂魄の魄)残存による出現原理は、構造的であり物理的であります。(「中国の幽霊」)
類書同著者の北京を巡るエッセイ『随筆北京』(東洋文庫522)
仙人のなり方を説く『抱朴子 内篇』(東洋文庫512)
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