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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 525|526

『抱朴子 外篇(全2巻)』(葛洪著、本田濟訳注)

2014/08/07
アイコン画像    「遇不遇は天命」と受け入れた
葛洪は、仙人になれたのか!?

 仙人になりたい! という妄想で頭がいっぱいだったせいで、前回、肝心な疑問を提示し損ねていました。果たして、著者の葛洪(かっこう)は仙人になれたのか!?

 『抱朴子』といえば、〈一般に内篇をさす〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)のが常なので、取り上げられることが少ないのだが、実はこの著作には姉妹編がある。それが、『抱朴子 外篇』。なぜ無視されることが多いかというと、「内篇」が仙道を論ずるのに対し、「外篇」は、〈儒家に属する〉本だからだ。道家と儒家が並び立つとは矛盾じゃないの? という指摘がつきまとうのだ。

 実際、「外篇」を紐解くと、自己啓発系の章立てが並ぶ。


 〈学につとめよ(勖学=きょくがく)〉、〈行ないの等級(行品)〉、〈酒のいましめ(酒誡)〉、〈煩雑な形式を簡略化せよ(省煩=しょうはん)〉、〈貧に安んぜよ(安貧)〉、〈ことばを慎重に(重言=ちょうげん)〉……。


 本書を貫くのは、このスタンスだ。


 〈遇不遇は天命である。人間としては真っ直ぐにおのが道を努めるほかはない。不遇も出世もすべて成り行きにまかせることだ〉


 淡々と運命を受け入れる。そう言う意味では、私からすると、「内篇」と「外篇」は矛盾を来さない。運命を享受した上で、さらに非世俗的な高み(仙人)を目指したということなのだろう。

 この「外篇」には「自叙」を掲載するが、これが頗る面白い。本人いわく、〈ものを言えば時の風俗と調子が合わず、足ふみ出せば世間の人と行きかたがちがう〉というズレ方で、才能もなく、気が散りやすく、〈頭は鈍く口は下手。顔かたちは醜くじじむさい〉と卑下しまくる。

 実際の葛洪は、13歳で父を亡くし、貧困生活に陥る。「論語」を初めて読んだのは16歳と遅咲きだが、以後、1万巻の書物を紐解いたという。出仕することもあったが、〈俗に流される生を拒絶し続ける姿勢を貫いた〉(同前「世界文学大事典」)。本書は、葛洪、30代の書である。

 では本題。葛洪はその後、どうなったか。


 〈『晋書』の伝によると,没年は81歳,「世に尸解(しかい)して仙を得(う)と以為(みな)さ」れた〉(同前)


 葛洪は座したまま眠るように死んだと言う。棺を持ち上げると、不思議なほど軽かった。人々はこれを「尸解」と考えた。着物だけこの世に残し、棺を抜け出た、と。

 〈目の見える人だけが私のまごころを認めてくれるだろう〉と葛洪は記したが、まさに皆、「認めた」のである。

本を読む

『抱朴子 外篇(全2巻)』(葛洪著、本田濟訳注)
今週のカルテ
ジャンル実用/宗教
時代 ・ 舞台300年代の中国
読後に一言私は願望を込めて、葛洪は「仙人になった」という説をとります。
効用「世界文学大事典」いわく、〈内篇と外篇との立場をめぐっては,矛盾するのではなく,両者を含む全体像が葛洪の思想の大きさであると考えるべきであろう〉、だそうです。
印象深い一節

名言
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