1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
東アジア文明史論から見えてくる ウクライナ混乱の原因とは? |
ウクライナ情勢は混沌としたままだが、かの国の対立は、つまるところ「言葉」なのではないだろうか、と本書を読みながらつらつら考えた。東洋史学者の宮崎市定氏の『東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会』、その中の「東洋的近世」にこんな記述を見つけたのだ。
〈共通な日常の言葉を持った民族は、ある程度豊富な共通語を所有するようになると、その間に自然に民族的自覚が高まり、それが国民主義運動(ナショナリズム)に発展するのである〉
ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』(NTT出版)の中で、「国民国家」とは、印刷によって「国語」が普及したことで共同体として想像された、と説いたが、宮崎氏の指摘はまさにそういうことだ。共通な日常の言葉=国語が、一国家を形成するのである。
で、宮崎氏は、このプロセスに、ヨーロッパと中国との違いを見る。ヨーロッパはローマ帝国の支配と共に、表音文字(ラテン語)が広まった。ラテン文字は、〈各地方の言葉をそのままに書き取ることが出来る〉。ゆえに、地域ごとの共通言語――英語、独語、仏語……などが誕生していった。一方で、表音文字とは言い難い漢字には、さまざまな制約があった。
(1)〈自由に言語を発音のままに写すことが出来ない〉
(2)〈時代と共に変る言語の変化も文章に書いてしまえば古典的修辞法のために跡を没する〉
(3)〈形態がむつかしいために(中略)、国民的に変形される危険も少い〉
いったん漢文化に同化すると、地域的差異を漢字が飲み込んでしまうため、〈民族的融合〉が進む。多国に分かれる欧州と、一国の中国の差は、「言語」にあったのだ。
さてウクライナである。
〈ウクライナ語は1989年11月の言語法によって国家語と規定され、初等・中等教育でもウクライナ語化が進んでいる〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)
ウクライナ語とロシア語が拮抗するウクライナでは、国家的な統一のために、法によって国家語を規定せざるを得なかった。そしてさらに2014年2月、新政権は、前政権が制定した「ロシア語公用語法」を撤廃し、ウクライナ語だけを公用語とした。ロシア語文化圏の人間は、言語=文化を否定されたと感じただろう。皆が納得する統一言語を持たないウクライナは、内乱の芽を常に有していたのである。
ジャンル | 評論/歴史 |
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時代 ・ 舞台 | 1940~50年刊行(中国およびその周辺) |
読後に一言 | 親露派を擁護するつもりは毛頭ありませんが、なぜ新政権は「ロシア語公用語法」を撤廃したのでしょうか? 言語を巡る歴史的な鍔迫り合いがあるのでしょうか? |
効用 | 文明とは何ぞや? この大きな問いが、ダイナミックに考察されます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 歴史家の本当の任務は、むしろ先入観として世人の歴史意識を支配している幾多の枠そのものの検討にあるであろう。(「東洋的近世」) |
類書 | 同著者の論考『科挙史』(東洋文庫470) 中国の文化・風俗などの論考『東洋文明史論』(東洋文庫485) |
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(2024年5月時点)