1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
江戸後期に漂流し、ハワイ&ロシアを 体験した水夫たちの壮絶な半生 |
1837(天保8年)、大坂(大阪)では大塩平八郎の乱が勃発。同年、日本人漂流民を乗せた米国の商船を砲撃するという「モリソン号事件」が発生した。当時の日本は内外に矛盾を抱え、のっぴきならない状況にあった。
『蕃談』は、そんな時代に5か月あまり漂流し、外国の捕鯨船に助けられ、4年に渡って国外生活を送った長者丸の水夫たちの証言の聞き書きである。
彼らの漂流生活を列記しよう。
・1838年11月に遭難。5か月後に助けられる。
水も尽き、〈あとは死を待つばかりと覚悟していた矢先〉の救出劇だった。
・1839年9月~40年7月、ハワイ滞在。
・1840年9月~41年6月、カムチャッカ滞在。
・1841年7月~42年7月、オホーツク(ロシアの港町)滞在。
・1842年9月~43年3月、アラスカ滞在。
・1843年5月、エトロフに到着し、同年9月江戸帰還。
アメリカ人、イギリス人、ロシア人……と多くの人たちの親切で、長者丸一行は(途中、病死、自死した人間がいたものの)無事に、日本へ戻ってくる。
彼らが見聞きしたハワイの様子や、ロシア極東の風俗が、服装や住居、遊戯にいたるまで非常に詳細に語られ、その記録としてみただけでも、価値が高い。鎖国中の日本にあっては、彼らは、情報の最先端にあった。
長者丸の水夫たちは、ロシア人たちに、エトロフ島に送り届けられるのだが、その時の松前藩の役人の態度はひどいものだったと、彼らは振り返る。その役人は途中まで機嫌が良かったが、酒に酔うと態度が一変。〈突然腰の刀を抜いて船長の面前に突き出した〉。水夫たちは、〈この男が外国人の心情を理解せず、ただ軽薄に威張り散らして相手に無礼を加えたことを嘆〉いた。
長者丸の水夫たちはすでに、ただの日本人ではない。いわば国際人だ。ゆえに、日本人の視野狭窄で身勝手な振る舞いを恥ずかしく感じる。彼らから聞き取りを行った『蕃談』の著者(古賀謹一郎)もこう述べる。
〈日本人はともすれば外国人に対して威張ってみせたり、おどしたりする悪癖がある〉
自分たち日本人を礼賛し、他国民の心情は慮らない。170年以上前の日本人と、21世紀の現代日本人。何だか、やっていることが変わってないですねぇ。情報が溢れているがゆえに、現代日本人は逆に、自分の目で「他国を知る」ことがおざなりになっているのかもしれません。
ジャンル | 記録/風俗 |
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時代 ・ 舞台 | 1800年代のアメリカ(主にハワイ)、ロシア、日本 |
読後に一言 | 実際に体験する――そのことの大事さを改めて思い知らされました。 |
効用 | 彼らは訪れた地の様子を丹念に見聞きしています。特にハワイの描写は、特筆すべきでしょう。 |
印象深い一節 ・ 名言 | あるアメリカ人がいうには「日本人は貧乏と見えて外国に出かけない。だから井の中の蛙も同然なのだ」 |
類書 | 同時期に漂流し、米国市民になった男の伝記『アメリカ彦蔵自伝(全2巻)』(東洋文庫13、22) 17世紀半ばに中国に漂着『韃靼漂流記』(東洋文庫539) |
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