1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
英国の女性考古学者が見た、 100年前のシリアとは――。 |
では問題です。「世界一古くから人が住み続けている都市」はどこでしょう?
答えは、ダマスカス(ダマスクスとも)。〈古来、東西交通の要地として繁栄〉し、〈紀元前10世紀〉には、〈アラム王国の首都であった〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)ところで、現在はシリアの首都だ。
そんな悠久の歴史を持つシリアだが、2011年1月に始まったシリア騒乱は収まらず、それどころか国の半分近くをイスラム国に実質支配されている。シリア――その問題の根底にあるものは何か。
シリアは、古来より東西交通の要衝で、〈西アジアの十字路〉(同前、「シリア」の項)と呼ばれてきた。しかし要衝であるがゆえに各国から蹂躙され続け、主立ったところだけで、ペルシア、マケドニア(アレキサンダー大王)、ローマ、イスラム勢力、モンゴル、オスマン帝国、フランス……とさまざまな国家、民族に支配されてきた。
そんなシリアを1905年――オスマン帝国から独立しようとしていた時期に旅した女性がいる。イギリスの考古学者ガートルード・ベルだ。『シリア縦断紀行』は彼女の旅の記録だ。旅立ちの記述を抜き出してみよう。
〈安全な隠れ家をあとにして、地球の丸くなった肩まで延びている路に一歩踏み出すと、まるでお伽話にあるように、心臓の周りに鋲で留められていたたがが断ち切れた思いがする〉
非常に文学的で、その視点は独自だ。ベルは、人々の生活の様子や心情をこの調子で丹念に書き綴っていく。
では、ベルがシリアに見たものは何だったのだろうか。
ベルはシリアを含むオリエントの人々を〈非常に年をとった子供〉とし、知識や(西洋人の考える)効用を重視しないと言う。その代わり重視するのが〈因襲〉、つまり〈掟〉だ。
〈社会構造は階級制と部族制のために無数の集団に分かれ、それぞれが独自の掟に従って行動し、その掟は(中略)特異な問題をすべて充分に、完璧に説明できるものになっている〉
ベルの指摘で興味深かったのは、他の者がどんなおかしな格好や行動をしていても、それが掟の遵守ならばむしろ敬意を表されるというくだりだ。逆に言えば、〈掟〉をないがしろにする者には牙をむく、ということだ。
〈他人の掟には敬意を払うべき〉とベルは言うが、シリアの地でそうなることを望む。
ジャンル | 紀行 |
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刊行年 ・ 舞台 | 1907年/シリア、イスラエル、パレスチナ、トルコ |
読後に一言 | 何事も問題の裏側には、歴史のひずみがある。絡まった糸をほどくのは、容易なことではない。 |
効用 | やや上から目線のきらいはありますが、彼女が出会ったシリアの人々や街の姿が、ここには鮮やかに再現されています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 世の中の仕組みが細かくととのっているところで育った者にとって、荒野の旅の門出ほど心ときめくことはめったにあるものではない。(第一章「出発、エルサレムからサルトまで」) |
類書 | 同時代の英国人女性の紀行『日本奥地紀行』(東洋文庫240) シリアでも戦った「アラビアのロレンス」の回想録『知恵の七柱(全3巻)』(東洋文庫152ほか) |
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(2024年5月時点)