1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
オペラよりも断然おもしろい!? 「元曲」の名作を名訳でお届け |
前回、まがりなりにも「元曲(げんきょく)」を取り上げましたので、その元曲の名作を翻訳した『元曲五種』を今回は紐解いてみることにします。
本書訳者の池田大伍氏は、大正から昭和の初めにかけて活躍した劇作家で、〈二世市川左団次のブレーン〉(ジャパンナレッジ「新版 歌舞伎事典」)として歌舞伎作品も執筆した人です。今も演じられる「名月八幡祭」はこの人の作。
この時代、西洋のものがどっと押し寄せてきます。それをどうジャッジし、受けとめるかは、この時代を生きた人間の宿命だったのでしょう。池田氏は、〈あの大がかりで、大して面白くないオペラ〉と西洋の文化を切って捨て、返す刀で「元曲」を、〈簡素ではあるが(中略)感動せしむる要素をもっている〉と評価します。簡素さの中に、元曲のもつ凄みと面白さを見出したというわけ。で、訳すのに骨が折れる元曲の名作のいくつかを見事に訳してしまったというのが本書なのです。
ではそのうちのひとつ、「楊氏の女 狗を殺し夫を勧むる雑劇(殺狗勧夫)」から。
軸となるのは兄・孫大と弟・孫二の関係。この兄、どういうわけか弟が憎くてたまらない。〈今日も兄弟を打(ぶ)ち、明日も兄弟をののしる〉といった有り様で、兄は悪友二人とつるんでばかり。
〈朝から晩まで、晩から朝まで、言うたら尽きまい、わしが苦しみ、説いたら尽きまい、わしが悲しみ〉
と弟は嘆くのだが(こういう言い回し、情感がこもっていていいですな)、関係は悪化するばかり。悪友に雪の中に置き去りにされても(しかも弟が助けたのに)、兄が責めるのは弟だけ。ここで登場するのが兄嫁。事態を打開しようと、犬の死体を使って仕掛けをし……という話。犬の死体を人間の死体と間違えた兄は、悪友に始末を頼むも、助けないばかりか、それをネタに金をゆする始末。結局、兄を支えたのは、忌み嫌っていた弟だった。悪友と兄との縁は切れ、兄弟仲良く暮らしましたとさ、というハッピーエンドです。
劇作家らしく、非常に面白い物語に仕上がっているのですが、もともと元曲は宋や元の時代のものですから、訳すのは容易くありません。しかし、〈歌うを主とした芝居として訳してみたら面白かろう〉と訳者自身、困難の中に楽しみを見出しているようで、それが絶妙の仕上がりになっています。こういう仕事、いいですね。
ジャンル | 芸能 |
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時代 ・ 舞台 | 1200~1300年代の中国 |
読後に一言 | 他にも、「張孔目 智もて魔合羅を勘うる雑劇(魔合羅)」という探偵劇や、訳者が舞台を日本に移して翻案した「盛衰記上総之巻 二幕四場」(付録)など、物語としても読み応えがありました。 |
効用 | 訳者いわく、元曲は〈情熱の章句に富んでいる〉。その〈情熱〉を存分に味わってください。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 元劇の詞曲について補ってこれをいえば、その極めて情熱の章句に富んでいることである。おもうに情熱は戯曲の最大要素である。近松も沙翁もその大半の好所はここにあるのである。(「元曲五種の後に」) |
類書 | 朝鮮の伝統的民俗芸能『パンソリ』(東洋文庫409) 中国の大衆文化『中国講談選』(東洋文庫139) |
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