1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
彼らは何故メッカへと向かうのか イスラム教徒とめぐるアジア(1) |
今、手元に1冊の写真集がある。野町和嘉の『地球巡礼』(新潮社)である。知人の勧めで手に取った書だが、ここには、チベットやメッカ、アンデスなど、世界中の巡礼の地とその回廊が収められている。中でも、メッカの写真には圧倒される。100万人の信者の群れが、カヴァ(カーバ)神殿の周囲を同心円状に取り囲んでいる。1枚の写真に過ぎぬが、私は円の中心に、何者かの存在を感じ取った。言葉で言い表せない何か。
なぜ人々はメッカに向かうのか(言い方を換えれば、イスラム教徒とは何なのか)。
それを知るには、実際にメッカを訪れた人の書を読むのが近道だ。そこで、イスラム世界のマルコ・ポーロ、と称されるイブン・バットゥータの『大旅行記』(正式には、「諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈物」)である(全8巻。ジャパンナレッジ公開は6巻まで)。この書は〈各地での人間や風俗,建造物や風景の記述は生彩に富み,世界文学史でも特筆すべきもの〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」「イブン・バットゥータ」の項)と評価も高い。――なので数回に分けて本書を取り上げたいと思う。
マルコ・ポーロより半世紀のちに、モロッコに生を受けたバットゥータは、22歳(実際は21歳3か月)の時に出立を決意する。
〈ただ一人の旅立ちであったが、抑え難い心の強い衝動に駆られ、またあの崇高なる約束の場所(マアハド)[聖地メッカとメディナ]を訪れたいという胸の奥深く秘めていた積年の想いがあった〉
22歳にして積年の思いとは! いったい、この強さはどこからくるのか。
シリアのダマスカスでの逸話。〈世界のなかで最高のモスクの一つ〉というウマイヤ家のモスクの歴史が語られる。元来はキリスト教会であったところをイスラム教徒が攻撃し、占拠。半分をモスクに作り替える。残り半分も力尽くで奪い、〈そこを壊すものは気狂いになる〉という元の持ち主のギリシャ人の忠告も聞かず、〈神の道に奉仕するために、気狂いになる最初の男となろう〉と壊してしまう。〈アッラーは、ギリシャ人たちの言説が偽りであることをお認め給うたのである〉というのが、このエピソードのオチ。
この強さ! 万能の神と繋がっている強さが、イブン・バットゥータの行動を支えているのは間違いない。神が万能であり過ぎる――これこそイスラム教徒の利点であり、同時に、大きな陥穽なのかもしれないが……。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 14世紀の北アフリカ、中東など(モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、パレスチナ、イスラエル、シリア、レバノン) |
読後に一言 | イスラム世界を否定せず、イスラムとは何かを考えよう、というささやかな試みです。3、4回、おつきあいください。 |
効用 | 詳細な描写によって、14世紀のイスラム世界が目に浮かびます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 話をもとに戻そう(※本書にはこの語が頻出する。バットゥータが旅でさまざまな話を仕入れ、それを語らずにいられなかった、という証左である) |
類書 | マルコ・ポーロの紀行『東方見聞録(全2巻)』(東洋文庫158ほか) 『大旅行記7、8』(東洋文庫704、705) ※ジャパンナレッジ未収録 |
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(2024年5月時点)