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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 630|659

『大旅行記 3、4』(イブン・バットゥータ著、イブン・ジュザイイ編 家島彦一訳注)

2015/02/12
アイコン画像    ジハードとはいったい何なのか
イスラム教徒とめぐるアジア(3)

 ジハード。日本語で「聖戦」と訳されるこの言葉は、イスラム系過激派の金科玉条のように、日本では捉えられている。そもそも「聖戦」は、〈神聖な戦争。正義を守るための戦い〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)のことだ。神のため、正義のためならば、何をやっても許される。これが一般的な「ジハード(聖戦)」のイメージではないだろうか。

 ところが『大旅行記』を読み進めるにつれ、「ジハード」の意味が日本では曲解されていたことに気づいた。解説(『大旅行記 3』)にこうある。


 〈ジハード(jihād)とは、単に〈軍事的な聖戦〉の意味だけでなく、特にスーフィー(イスラム神秘主義者)たちにとっては神の道(sabīl Allāh)を求めて異郷の地に踏み込み、様々な危険や未知との遭遇の中で苦行・鍛練を重ねる努力、つまり〈旅への挑戦〉のことであった〉


 バットゥータは『大旅行記』3巻、4巻で、中東からインドまで、延々と旅を続けるが、彼の〈旅の精神は、まさにそうした苦行・鍛練を重ねて遍歴するジハードとしての旅〉だったというのだ。

 〈異教徒に対する戦いを「小ジハード」というのに対し、自己の欲望に対する戦いは「大ジハード」とよばれて、より高く評価された〉(同「ニッポニカ」)

 ジハードに狭義の「聖戦」という訳語を与えることで、精神的な努力や奮闘の「大ジハード」の意味が抜け落ちていたのだ。実際、イブン・バットゥータの旅は、奮闘努力を強いるものであった。彼の旅の行程のほぼ半分は、船旅なのだが、これがまた、乗るたびに嵐に見舞われる。


 〈船旅も中ほどに差しかかる頃、大時化(おおしけ)に襲われた。状況はますます悪くなるばかりで、もはや絶体絶命かと思われた〉(『大旅行記 4』)


 というピンチが、次々とバットゥータを襲うのである。

 ところが、〈絶体絶命〉にしては、そのピンチはあっけなく終わる。何事もなかったように、次の旅路へと筆は進んでいってしまうのだ。巡礼に出る際の興奮、メッカに着いた時の高揚感と比べて、それはあまりにも淡泊だ。バットゥータの中では、自らの生死よりも、巡礼の感動のほうが上位にあるのだろう。

 自らの生死よりも、宗教的価値が上。しかしこうした生き方を、イスラム教徒以外が理解することは難しい。ここに、根深い問題があるのではないだろうか。

本を読む

『大旅行記 3、4』(イブン・バットゥータ著、イブン・ジュザイイ編 家島彦一訳注)
今週のカルテ
ジャンル紀行
時代 ・ 舞台14世紀のアジア、アフリカなど(イラク、サウジアラビア、スーダン、イエメン、ソマリア、タンザニア、ケニア、オマーン、イラン、バーレーン、エジプト、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリア、トルコ、ウクライナ、ロシア、カザフスタン、ブルガリア、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドなど)
読後に一言「ジハード」という言葉を安易に使わぬよう、注意したい。というか、「罪を償わせる」っていうかね、普通。その言葉遣いは、聖戦組と何ら変わらない。
効用東洋文庫では珍しく、アフリカ諸国の街も描かれます。
印象深い一節

名言
(紅海沿岸のハリーの町のモスクで日夜修業する人々を見て)以上が彼らの日常不変の行動であって、実際に私自身も残りの人生のすべてを彼らと一緒に過ごしたい気持ちになったが、そうしたことへの私の所望は結局、実現されなかった(第3巻)
類書「アラビアン・ナイト」訳者・前嶋信次の論考『千夜一夜物語と中東文化』(東洋文庫669)
17世紀のイスラム世界を描写『ペルシア見聞記』(東洋文庫621)
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