1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
女性、セックス、世俗…… イスラム教徒とめぐるアジア(4) |
数回に渡って、イスラム教徒イブン・バットゥータの『大旅行記』を「宗教」や「信仰」にスポットを当てて読んできましたが、今回で最後。締めくくりに、世俗的なことに触れます。“女性”についてです。
このバットゥータの旅、“女性”との関わりに焦点を絞ると、途端に別の物語に変容します。バットゥータは妻を連れて旅をしますが、離婚すれば別の妻を娶り、あるいは〈奴隷女〉を買い、そっちの欲望を満たします。
特に〈マルディヴ群島〉(モルジブ)で暮らした1年半は圧巻です。
〈私には、この群島で四人の[正式の]妻と、それ以外にも何人かの女奴隷がおり、毎日、私は彼女たち全員の間をめぐり、しかも[順繰りに]夜を約束した妻のもとで寝るのが習わしであった〉(『大旅行記 6』)
妻の一人に対して、〈性的まじわりでのあしらい方の見事さ〉を絶賛しているくだりもあり、まるでそれ中心の生活であったかのようです。
イスラム社会は(江戸時代までの日本の一部がそうであったように)一夫多妻制を是としてきました。
実際、コーラン(クルアーン)にはこうあります(日本ムスリム協会「日亜対訳・注解 聖クルアーン」)。
〈……あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我慢しておきなさい〉
中には、〈妻はあなたがたの耕地である。だから意のままに耕地に赴け〉という記述もあり、男性主導で〈性的まじわり〉もしていいとも解釈できます。〈男は女の擁護者(家長)である〉という箇所を取り上げて、男尊女卑の思想を見出すのも容易いでしょう。しかし、現代社会の基準で批判しても、何の進展もありません。
むしろ、バットゥータの旅を通して私が唸らされたのは、宗教的行為と、世俗的行為が、何の矛盾もなく重ね合わされているということでした。例えば、仏教の修行僧やカトリックの神父は、非世俗的な存在です。イスラム教の聖職者的存在は、ウラマー(法学者)ですが、彼らは信者と同列であり、特別な縛りや戒めはありません。
『大旅行記』が読み物として面白いのは、実は極めて世俗的だからなのです。それはイスラム教の特徴であり、信者が増え続ける「強み」でもあるのでしょう。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 14世紀のアジア(インド、モルジブ、スリランカ、インドネシア) |
読後に一言 | イスラム教の「世俗性」は寛容にも通じます。攻撃をしかけない限り、という但し書きがつきますが。 |
効用 | インドやスリランカなど、この当時の風俗がよくわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 私は、俗世に未練を残しているために、怠惰な気持ちが湧いてくるのではないかと思い、この際、私の所有していた大小一切のものを手放すことにした。(5巻第17章「イブン・バットゥータのデリー滞在」) |
類書 | マレー人のイスラム教徒の自伝『アブドゥッラー物語』(東洋文庫392) スマトラにあったイスラム王国の説話集『パサイ王国物語』(東洋文庫690) |
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