1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
ギネス記録認定の世界一長い詩にみる 父と子の“乗り越える”関係 |
キルギス、と聞いてピンと来る人は少ないと思いますが(私もその一人)、北にカザフスタン、東に中国、南にタジキスタン、西にウズベキスタンという中央アジアの国です。旧ソ連邦のひとつで、〈国土全体の54%(2005)が農業に利用されている〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)という農業国です。そのキルギスで、〈重要な文化遺産〉となっているのが、〈口伝の英雄叙事詩『マナス』〉(同前)なのです。で、今回取り上げる、中国少数民族三大英雄叙事詩の一つとされる『マナス』、〈50万行にも達する長大な韻文の叙事詩〉(同「世界文学大事典」)なんですね(世界で最も長い詩としてギネス記録にも認定されているそうです!)。
本書は、主人公であるマナスが、生まれてから15歳で族長になるまでを描いた、いわば冒頭部分だけですので、読むのに苦労するということはありません。まあ、簡単に言えば、勇者マナスのヒーロー譚、というべきものでしょう。物語は、50歳のジャクィブの嘆きから始まります。ジャクィブ、社会的には大成功を収めて大金持ちになるのですが、子宝に恵まれない。で、わめきちらします。
〈全くこの世なんてとっとと失せやがれ!〉
ジャクィブはせっせと神に祈り、その甲斐あってか、ひとりの男の子が生まれます。これがマナス。ところがマナス少年、とんだ不良少年で、数え8歳にして、金遣いは荒く、酒を飲み、悪行三昧。困った父ジャクィブは、羊飼いの修業に出すのですがそこでも喧嘩三昧。とうとうジャクィブ、〈悪霊があいつに取り憑いたんだ〉〈子供にはもううんざりだ〉と、身も蓋もありません。
で、当のマナス。腕力と知恵で、どんどんのし上がってきます。自然の中で暮らしている遊牧民ですからね、力は根源なのです。そのうちに、マナスが父を凌駕してしまう。そしてこのセリフ。
〈びくびくぺこぺこして暮らすうちに、父さんは卑屈に慣れっこになっちまったんだ!〉
これ、子供に(しかも10代の)言われたらグサリときます。人生、否定されてしまったわけですから。
しかしはたと考えました。マナスは、父がはめようとした型を打ち破り、父を乗り越えたわけです。父としてこれほど幸せなことがあるでしょうか? もし子が親を乗り越えねば、人物が小さくなっていくわけですから、この世は先細っていきます。そうです、『マナス少年篇』は、現代にも通ずる父子物語だったのです。
ジャンル | 詩歌 |
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時代 ・ 舞台 | 英雄時代のキルギス(20世紀までに採録) |
読後に一言 | マナスは全3巻です。他に、『青年篇』(東洋文庫717)、『壮年篇』(740)があります(※共にジャパンナレッジ未収録)。興味を持たれた方はぜひ。 |
効用 | キルギスの遊牧民の暮らしも垣間見えます。風俗資料としても優れています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | やたらにこわがっていたら、やつれて逝っちまうよ。 |
類書 | 中国少数民族の英雄叙事詩のひとつ、チベット・モンゴル民族の『ゲセル・ハーン物語』(東洋文庫566) 中国少数民族の英雄叙事詩のひとつ、モンゴル民族の『ジャンガル』(東洋文庫591) |
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