1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
8月6日の「死」を想像する 2週連続「今昔物語集」Ⅲ~その1 |
いま、「釈迦」の物語が、どれだけ浸透しているのかしりませんが、少なくとも、私の子供時分は、比較的身近にありました。季節のせいなのか妙に懐かしくなり、本書を手に取った次第。
『今昔物語集 7 天竺部』は、天竺=インドの仏教説話集ですが、中でも、釈迦の出家から悟りに至るまでを中心に取り上げています。本来は、「天竺部」が「今昔物語集」のトップバッター。つまり作者は意図的に、釈迦の話から「今昔物語集」の筆を起こしているのです。
「今昔物語集」として釈迦の物語を読むのは初めてでしたが、読み進めていくうちに、子供の頃、好きだったシーンを思い出しました。いわゆる「四門出遊」です。
釈迦は、小国を治める浄飯王と摩耶夫人の間に生まれ、何不自由なく育ちます。17歳で結婚するのですが、奥さんと一緒に過ごさない。当然、親は心配します。
で、ある時、外に遊びに行きたいと言うんですね。釈迦は宮城の東門から外に出ます。すると、白髪で腰の曲がった老翁に出会う。釈迦にとって初めて目にする「老い」です。すかさず釈迦は従者に聞きます。
〈ただこの人だけが老いたのか。それともすべての人がみなこのようになるのか〉(巻1-3)
皆老いると答える従者。
同じように、南門から出ると病人に会い、西門から出ると死者に会います。そして質問を繰り返すのです。
〈この人だけが死ぬのか。それとも他の人もまたこのようになるのか〉
そして北門で出家者に会った釈迦は、その後、宮城を飛び出し、出家してしまいます。
なぜこのシーンが好きだったのか、40過ぎてようやくわかりました。ここには、“想像力”があるんですね(想像力なんて陳腐な言い方しか思いつかないのがシャクですが……)。釈迦は、他者を想像するのです。
例えば、テレビからは連日のように「死」にまつわるニュースが流れます。その際、私たちは、「自分の死」を想像するでしょうか? 少なくとも私の中では、「死」は流れてしまいます。
今日8月6日は、世界で初めて原爆が実戦で使用されました。釈迦のように悟れない私たちは、せめて、この「死」と、私たちの現実は地続きであると、今一度、確認する必要があるのかもしれません。
ジャンル | 説話 |
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時代 ・ 舞台 | 平安末期の日本 |
読後に一言 | 戦前の日本の軍部にとって兵の「死」は、想像力の外だったのでしょう。 |
効用 | 日本が仏教をどう受け入れようとしたのか、そのドラマとしても読めます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | ……煩悩の根本である無明を打ち破って智恵の光を得られ、永久に煩悩を断ち切って完全無欠な仏の悟りをおひらきになったのである(1-7) |
類書 | ギリシャ人とインド人の仏教対談『ミリンダ王の問い(全3巻)』(東洋文庫7ほか) 大乗仏教の経典『維摩経』(東洋文庫67) |
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