1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
断腸の念と痛惜の念――。 妻を亡くした詩人の叫び。 |
先日仕事で、奥さんを亡くしたばかりの方の話を聞きにいった。奥さんは闘病虚しく、病気が発覚してから1年9か月後に、29歳で逝ってしまった。どうしようもない出来事だ。だがご主人の悔いが消えることはない。その痛惜の気持ちを、私は黙って聞くしかなかった。
今、その遺影を見ながら、私はこの詩を何度も復唱している。『王船山詩文集』の中から、「来時の路 悼亡」。
〈飄風(ひょうふう) 我が裳(ころも)を吹く
流目して 心自ら喩(さと)り
劇(はげ)しく 車輪の腸を結ぶ〉
著者の王船山――王夫之(おう・ふうし)は、明代末期から清代初期の〈三大思想家の一人〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)であるが、詩文家としても評価が高い。彼は新しくできた清朝に仕えることを拒み、明朝の遺臣として生涯を終えた。先の一節は、40代の詩だ。
王船山は、12年連れ添った妻(享年29歳)を亡くす。それはどれほどの悲しみだっただろうか。
秋の田の路を進む船山。秋風に吹かれているのは、自分ひとり。我に返って周囲を見廻し、激しく断腸の思いに駆られる。突然襲ってくる痛惜の念に、船山は、はらわたがちぎれるほど苦しむほかないのだ。
われわれがいただくリーダーは、戦後七十年にあたり、〈痛惜の念〉を表し、〈計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実〉に対し、〈断腸の念を禁じ得ません〉と言葉を繋いだ。キーワードを漏れなく使用したという点で、大学入試の論文ならば、満点の出来だろう。だが、私のリテラシーの不足なのか、リアルタイムで談話を聞いたものの、本当に〈痛惜の念〉を感じているのか、まったく伝わってこなかった。「謙虚」「教訓」「知恵」「学ぶ」「未来」「平和」というワードをしつこく繰り返していたのはわかったのだが……。
船山は、何度も何度も、妻の死を詩に詠む。読むたびに痛惜の思いは増す。私は船山の切実さにうたれる。
船山は最後に、視線を未来に向ける。
〈未だ知らず 除夕は是れ晴なるか陰なるかを〉
除夕(一年の終わりの日)は、晴れるのか曇るのか。未来は誰にもわからない。晴れるかもしれない――そこに希望を見出す。これぞ未来志向だ。
深い悲しみに向き合ったからこそ、未来もある。謙虚にもなれる。ここには、伝わってくる真実がある。
ジャンル | 詩歌 |
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時代 ・ 舞台 | 1600年代の中国 |
読後に一言 | うちの生意気な愚息は、叱られると「反省すればいいんでしょ!」と逆ギレします。言葉だけなんだよなぁ。「王船山詩文集」を読め、という訳にもいかないし。 |
効用 | のちの革命にも影響を与えたと言われる王船山の思想は、例えば「正落花詩十首」の序などに垣間見えます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 是を以て形似の言多く、放に帰するのみ/かくて形だけの表面的な詩が沢山できたが、つまりは思いを言い放ったにすぎぬ(「続落花詩三十首」序) |
類書 | 清代三大思想家の一人・黄宗羲の思想書『明夷待訪録』(東洋文庫20) 清代に活躍した人々の思想『清代学術概論』(東洋文庫245) |
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