1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
中央アジアの消えた言語って!? 古典的名著にみる文明論 |
〈言語の運命は案外脆いものである〉(「西域文化史」)
古典的名著といわれる、羽田亨の『西域文明史概論・西域文化史』にこの一節を見つけて、少し考えさせられました。本書は、いわゆる「中央アジア」の文明史を取り上げた評論です。この地方は長らく、シルクロードの交通の要衝であり、東西のさまざまな文化が交わりました。そこではソグド語が話されていたそうです。
ソグド語は、〈7世紀から8世紀にかけて、中央アジアの有力な国際共通語として、東西交渉に重要な役割を果たした言語〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)だそうです。本書によれば「沙門」や「出家」もソグド語由来だとか。暦にも影響を与え、藤原道長の使っていた暦にもそれが垣間見られるといいます。ですがこのソグド語、なくなってしまうんですねぇ。それがくだんの〈言語の運命は案外脆い……〉に繋がるのです。
中央アジアには、ゾロアスター教、仏教、マニ教、キリスト教、イスラム教……とさまざまな宗教が文化と一体となって入って来たのも特徴です。筆者は、遊牧生活から定住生活へと変化したことで“文化”が生じたと指摘します。この地方の中心は、ソグディアナ(ゼラフシャン川流域)ですが、この地は、アレクサンドロス大王やウマイヤ朝、チンギス・ハンに攻略され、19世紀にはロシア軍の占領を受けました。交通の要衝だけに、侵略され続けた、というわけです。結果、「国際共通語」だったソグド語はなくなってしまった……。わずかに、出土品にその原型を確認できるだけのようです。
本書では、西側と東側の文化が出会い、融合していった歴史を丁寧に辿ります。いわく、〈諸種性質や系統を異にした文明が雑然として彼等の間に行はれたからには、時日の経過と共にその間に融通合成の勢が発展して来る……〉。天使の羽が生えた仏の画など、なかなか興味深い図版も多く収録されていました。しかしソグド語と同様、ここの文化も「過去」なのです。連綿と続く何かはありません。過去からの記憶が連綿と続く日本に暮らしていることを、私たちは感謝すべきなのかもしれません。
では翻って、「日本語」が残っているのはなぜでしょう? 恐らくそれは、「中心ではなく辺境だった」のひと言に尽きるでしょう。言語の優位性とか、日本文化の素晴らしさとか、そういうことじゃありません。日本の文化や伝統は、偶然の所産なのです。
ジャンル | 歴史/評論 |
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刊行年 ・ 舞台 | 昭和初期/トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、タジキスタン、中国 |
読後に一言 | 「この国を守る」と言いますが、資源もなく、交通の要衝でもないこの辺境の国を、誰が攻め取るのでしょうか。 |
効用 | 馴染みのない「中央アジア」ですが、読後ぐっと距離が縮まります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 凡そ未来に於て起生すべき諸種の事象を予かじめ察知し得ないことは、理智の所有者である人間に取って一大悲哀である。(「西域文明史概論」) |
類書 | 中央アジアに繁栄した王都の発掘物語『楼蘭』(東洋文庫1) 同じユーラシア乾燥地帯に活躍した騎馬民族の歴史『騎馬民族史(全3巻)』(東洋文庫197ほか) |
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(2024年5月時点)