1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
「メモ」のお陰で商売繁盛!? 約350年前の江戸の商人のメモ |
先日、TRFのDJ KOOさんの取材をする機会があったのですが、彼はこちらが仰天するほどのメモ魔でした。高校生の娘さんから貰ったメモ帳に、何でもメモするというんですね。メモ帳をみせてもらいましたが、本当にびっしりと書き込んでいました。
書店のビジネスコーナーを眺めても「メモ」と名の付く書籍は数多く出されています。メモは言わば、思考の可視化&整理ですから、メモをすれば成功する! とまでは言えないにしても、何かのプラスになるのは、まあ間違いないのでしょう。
実際、17世紀前半の江戸に、とんでもないメモ魔がいました。榎本弥左衛門という川越の塩の仲買人です。
〈近世前期の庶民の書き記した日記類がほとんど残存していないなかで、弥左衛門の日々のメモ『万(よろず)の覚(おぼえ)』と子孫のために記した『三子(みつご)よりの覚(おぼえ)』は、ともに貴重な史料になっている〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」、「榎本弥左衛門」の項)
という評価なのですが、そのメモを収録し、注釈を加えたのが、本書『榎本弥左衛門覚書』というわけです。
原文そのままなので読みやすくはないのですが、これがね、なかなか面白い。弥左衛門は、9歳で博打を覚え、10代は喧嘩三昧、というとんでもない悪童で、そこから徐々に落ち着いて立派な商売人となっていきます。
〈商(あきない)ニ情(精)を入(いれ)、かせぎ……〉
という本腰の入れようで、〈廿九(29)才よりじやいん(邪淫)なき事〉とありますから、そっちの方面も落ち着いていたようです。
この弥左衛門、とにかく何でもメモします。商売上のメモはもちろん、薬の調合から自分の着物のサイズ、旅、世事、天気までメモしています。校注者によれば、弥左衛門は勉強に身を入れずに育ち、〈耳に入った音をすぐに文字に表したようで、当て字が多い〉とのことですが、それはご愛敬。メモの中にも、ほぉと唸る箴言がポツポツと出てきます。例えば……
〈時の間も、我身の程を、忘るなよ、上を見ずして、下を見るべし〉
分を知りなさい、ということなのでしょう(自分より下を見ろ、というあたりには承服しかねますが……)。
ともあれ、メモが弥左衛門という人間にプラスになったことだけは、間違いないようです。
ジャンル | 記録/経済 |
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時代 ・ 舞台 | 1600年代の江戸・川越など |
読後に一言 | 弥左衛門さんもまさか350年後に自分のメモが読まれると思っていないでしょう。 |
効用 | ここには「生きた経済」があります。第一級の史料といえるでしょう。 |
印象深い一節 ・ 名言 | つらくして、我さへ人を、うらみなば、さりとて人の、中(仲)やた(絶)ゆべき |
類書 | 日本経済史学の先駆者による『近世の日本・日本近世史』(東洋文庫279) 江戸の見聞記『増訂 武江年表(全2巻)』(東洋文庫116、118) |
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