1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
歴史的名著と評価される評論の中に “時代の流れ”を読み取る |
さて、問題です。以下の文章は、ある論文の冒頭ですが、何について書かれたものでしょう。
〈われら何の幸か、この昭代に遇(あ)いて、千古未曾有(みぞう)の大戦を見、みずから戦勝国の民と誇ることを得るや〉
何とも勇ましい。〈武士道はわが国民思想の精髄なり〉という文言まで出てきます。答えは『国文学全史』。時は、日露戦争の勝利に沸いていた時代。30代の国文学者・藤岡作太郎はまさにその渦中にあったのです。彼が極右というわけではありません。実際、後世、〈体系的文学史研究によって近代の国文学研究の発展に寄与〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)と評価される学者なのです。
では中身はどうでしょうか。本書解説では遠回しに、当時の研究が進んでおらず、細部に間違いが多いことを指摘していますが、文章的観点からは名文です。
〈京都は実務の地にあらずして、風流の地なり。平安朝は実務の時にあらずして、風流の時なりき〉
作者の視点もあり、表現としても小気味いい。読み物としては、面白い部類でしょう。
私はむしろ、勇ましい冒頭に引っかかりました。これを“時代の流れ”だと脇によけていいのでしょうか。
例えば今年の9月、防衛省は、軍事利用を目的に、大学や国の研究機関に研究費を支給する制度を始めました。109件の応募があり、そのうち半数以上の58件を大学(相当機関を含む)が占めました。結局9件が採用され、内訳は大学4、国の研究機関3、企業2、だそうです。大学の研究が戦争にダイレクトに繋がるのです。これも“時代の流れ”でしょうか? であるならば、〈武士道はわが国民思想の精髄なり〉という氏の勇ましさを嘲笑できないのです。私たちはすでに渦中にいるのですから。激流に流されぬよう、踏ん張ることしか私にはできません。
ちなみに、本書の解説と校注を担当した国文学者の秋山虔(けん)氏は、去る11月18日に91歳の生涯を閉じました。面識があったわけではありませんが、氏の著作を読んだひとりとして、ご冥福をお祈りします。最後に、秋山氏の本書解説の中の言葉を引用します。
〈今日現在に生きる私たちが、その時代に能動的に移転し、同時にその時代から今日現在を見る、という視座を、今日現在のなかに据えることが必要ではないか〉
これぞ踏ん張るために必要なスタンスではないでしょうか。私は胸に刻みます。
ジャンル | 文学/評論 |
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刊行年 ・ 舞台 | 1905年・日本 |
読後に一言 | 一見、“時代の流れ”に関係のなさそうな研究であっても、やはり影響は避けられないのです。 |
効用 | その後の研究成果にもとづく秋山虔氏らの詳細な補注がついていますので、そこを読むだけでも勉強になります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 源氏以前に源氏なきはもとより、源氏以後また源氏に比すべきものなし、源氏物語はたゞに平安朝第一なるのみならず、古今を通じてわが国第一の小説なり。(第八章「源氏物語(一)──その梗概」) |
類書 | 戦前の神話研究『増訂 日本神話伝説の研究(全2巻)』(東洋文庫241、253) 時代を反映する戦前のお伽噺『日本昔噺』(東洋文庫692) |
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