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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 489

『続日本紀2』(直木孝次郎ほか訳注)

2016/02/18
アイコン画像    聖武天皇を支えた光明皇后の存在
奈良時代に思いを馳せる~その2

 〈ここに天平十五年(七四三)癸未の年十月十五日に、〔朕は〕菩薩(さとりを求める者)の大願をおこして、盧舎那仏の金銅像一体を、お造りすることにする〉


 聖武天皇による、東大寺大仏造営の発願です。

 本書『続日本紀2』は、聖武天皇とその娘・孝謙天皇の御代を記していますので、大仏造像はまさに、この巻の最大のトピックです。

 聖武天皇といえば、中学校の社会の教科書に必ず登場する、歴史上の偉人です。平城京、大仏、聖武天皇をセットで覚えたものです。冒頭の詔は「盧舎那大仏造営の詔」といい、読み下し文では次のように続きます。

 〈夫(そ)れ,天下(あめのした)の富を有(たも)つは朕(われ)なり。天下の勢を有つは朕なり。この富と勢とを以てこの尊き像を造らむ〉(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」)

 私はずっと、力強いリーダーを想像していましたが、本書を読むと、そのイメージは覆されます。


 〈朕は最近病気がちで、不安な容態が十日以上に及んでいる〉


 というような病気の告白が頻出。それだけでなく、詔では、世情不安や天変地異に対し、〈朕が不徳なために……〉と、何度も何度もわが身に負って反省します。

 実際、聖武天皇の時代は、〈蝦夷(えみし)の反乱,長屋王の変,天然痘の大流行,藤原広嗣(ひろつぐ)の乱など,政情・世情が安定せず,たびたび都をうつした〉(同前)のだそうです。強いリーダーというよりも、現状に心痛め、悩み苦しむ姿が、本書からも伝わってきます。

 ではなぜ、聖武天皇は国家の大事業を成し遂げることができたのでしょうか。

 前回の続きでいうと、聖武天皇の后は、藤原不比等の娘(光明皇后)です。あるいはここに鍵があるのかと調べてみると、不比等の影響というよりは、光明皇后自身が夫・聖武天皇の背中を押したことが見えてきました。光明皇后は当時としては異例の皇族ではなく、臣下の身から皇后になった方です。〈国分寺の建立、東大寺大仏の造営などを積極的に勧めたといわれ、病人や孤児の救済のため施薬院や悲田院など福祉施設をつくった〉(同「ニッポニカ」)そうです。〈皇后が貧しい病人の垢を洗い、癩病患者の膿を吸いとった〉(同「国史大辞典」)という話も伝わっています。奈良時代は、女性が輝いた時代といえるかもしれません。



本を読む

『続日本紀2』(直木孝次郎ほか訳注)
今週のカルテ
ジャンル歴史
時代 ・ 舞台731~758年の日本(797年成立)
読後に一言江戸時代の川柳にも、光明皇后は、〈垢摺をかせとりきんでみことのり〉(『誹風柳多留』、ジャパンナレッジ「新版 日本架空伝承人名事典」より)とうたわれています。
効用鑑真が労苦の果て、日本にやってくるのもこの時期です。本書にも、鑑真の記述が多く見られます。
印象深い一節

名言
春より日照りがはげしく、夏まで雨がふらなかった。多くの川は水が減り、五穀はいたんだ。〔これは〕まことに朕の不徳のせいである。
類書聖武天皇も多く登場する仏教説話『日本霊異記』(東洋文庫97)
光明皇后も登場する『幸若舞 1』(東洋文庫355)
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