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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 541

『魯迅「野草」全釈』(片山智行著)

2016/03/31
アイコン画像    魯迅が体験した独裁下の“沈黙”
なぜものが言えなくなるのか。

 明治の終わり、平塚らいてうが『青鞜』を創刊し、高等遊民――いわば高学歴のニートが街に溢れていた時代に、中国では辛亥革命が起こりました。1911年のことです。清朝は倒れ、中華民国が成立します。この辛亥革命に積極的に関わったのが作家の魯迅です。ところが民衆の党だったはずの中国国民党は、〈1925年孫文が病死後、蒋介石が指導者となり、1928年全国を統一して独裁政党となった〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)のです。

 まさに国民党の“独裁”が強まっていた時期に編まれたのが、詩集「野草」です。本書『魯迅「野草」全釈』は、〈自己の内面の矛盾に光をあてた散文詩集〉(同「ニッポニカ」、「魯迅」の項)、〈詩人的資質の結晶〉(同「世界大百科事典」、「魯迅」の項)と評価される魯迅の「野草」のテキスト+詳細な解釈という体裁の本です。

 私は冒頭の「題辞」、およびその解釈を読んで、思わず、現代の日本にダブらせてしまいました。

 魯迅はこう記します。


 〈沈黙しているとき、わたしは充実を覚える。口を開こうとすると、たちまち空虚を感ずる〉


 著者の片山智行氏は、〈国民党独裁権力が血の弾圧を加える深刻な政治状況のなかで、おのれの生そのものを直視しつつ、問題を普遍化し〉たものだと捉えます。

 戦前の日本でも、人々は声を挙げることよりも沈黙を選びました。独裁政権に物申すことは自殺行為でした。


 〈天地がこんなに静謐では、わたしは大いに笑い、かつ歌をうたうことができない〉


 魯迅のこの言葉を、著者は、〈国民党独裁権力が猛威をふるっている『題辞』執筆時の状態を述べている〉と解釈します。独裁の前に、黙り込むしかないという魯迅の苦悩がここに見て取れます。

 しかしこうした物言えぬ〝空気〟は、はたして魯迅の時代の中国だけの問題なのでしょうか。戦前の日本だけのことなのでしょうか。そうではありません。公然と「電波停止」に言及する総務相に、それを後押しする官邸。すでに物言えぬ空気は蔓延しているのです。

 いったい救いはあるのでしょうか。私は魯迅の詩の中に〝光〟を探しました。


 〈わたしはこの一篇の美しい物語を見たことだけは、いつまでも忘れないだろう〉


 魯迅が用意出来たのは、「自分の見た夢」だけでした。



本を読む

『魯迅「野草」全釈』(片山智行著)
今週のカルテ
ジャンル詩歌/評論
刊行年 ・ 舞台1927年詩集、1991年本書刊行・中国
読後に一言救いを求めて読んだつもりでしたが、現実を直視させられました。
効用夢連作の詩は、特に幻想的です。
印象深い一節

名言
希望、希望、この希望の盾で、空虚のなかの暗夜の襲来を防ごうとしたのだ。(「希望」)
類書魯迅による評論『中国小説史略(全2巻)』(東洋文庫618、619)
魯迅についての評論『魯迅 その文学と革命』(東洋文庫47)
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