1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
鎌倉時代の名僧の自伝にならう 自分を変える“きっかけ”の摑み方 |
物事には何でも〝きっかけ〟があります。4月になって、新しい学校、組織に属し、新スタートをきった方も多いと思いますが、それもまた何かのきっかけでしょう。
きっかけには、〈物事を始める時の手がかりや機会〉という意味だけでなく、〈心意気〉や〈意地〉という意味もあるそうですが(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)、たしかに〈心意気〉がないと、自分を高めるきっかけも無に帰すことは、さすがの私も体験の中から学びました。
『感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝』は、鎌倉時代の僧・叡尊(1201~1290)の自伝です。叡尊は、〈後深草上皇や北条氏らの帰依をうける〉などの一方で、〈橋の修復〉や〈貧民救済に尽力した〉(同「日本人名大辞典」)律宗の僧です。本書『感身学正記』の中に、私は叡尊の〝きっかけ〟を見つけました。
〈およそ印可を受け奉りて後十ケ年の間……〉
という書き出しで始まる34歳の項です(1234年)。叡尊は休まず修業に励んだものの、〈常に一つの疑殆を残す〉と告白します。「疑殆」とは、〈疑いあやぶむこと〉(同「例文 仏教語大辞典」)。叡尊は仏教の現在に疑問を持つのです。なぜか。多くの僧が〈魔道〉――悪魔の世界に堕ちていたからです。つまり堕落しきっていると。堕落した僧も、師の教え通り修業を積んだ僧たちです。なのになぜ〈魔道〉に堕ちるのか――。
叡尊は仏教界という大きな組織に属しています。寄らば大樹の陰。疑問を持たずに前例踏襲で、組織に唯々諾々と生きていくことも簡単だったはず。ところが叡尊はとんでもない疑問を持ってしまうわけです。諸先輩に向かって「たるんでる!」と思ってしまったわけですから。
私はこの「疑問」こそ、きっかけなのだと理解しました。ただ新しい集団に属したからといって、それはきっかけにならないのです。ただ所属がかわったというだけです。それは自分の変化ではありません。
では疑問をもった叡尊はどうしたか。
彼の行動は次の2点に集約されます。〈禁戒を受持する〉。〈律義を修学して、群生を饒益(にようやく)せん〉とする。注釈を借りれば、叡尊は、〈戒律を修学することで魔道から抜け出て密教を深める道を確認し、また、群生利益の必要性を見出した〉のです。
自分のルール(仏教のルール)を確認した、ということです。周囲に惑わされず、自分の中に答えを見つける。なるほど、これぞ〝きっかけ〟なのでしょう。
ジャンル | 伝記/宗教 |
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時代 ・ 舞台 | 鎌倉時代の日本 |
読後に一言 | 上中下に分かれた原典の上中巻をまとめたのが本書。2巻目はまだ出ていないようです。 |
効用 | 鎌倉時代に大きな影響を持っていた僧侶の記録です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | それ願望を果遂するの大心は、誓願して身命を捨つれば、稽古さらに倦(う)むことなし(「嘉禎元年 三十五歳」) |
類書 | 鎌倉時代の僧・親鸞の教え『歎異抄・執持鈔・口伝鈔・改邪鈔』(東洋文庫33) 天台宗僧侶の求法の旅『入唐求法巡礼行記(全2巻)』(東洋文庫157、442) |
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(2024年5月時点)