1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
「真田丸」エピソードも登場 エッセイ『甲子夜話』を楽しむ(2) |
〈なかぬなら鳴くまで待とう時鳥(ほととぎす)〉
これ、誰もが知っている句だと思います。ジャパンナレッジで検索すると、〈忍耐強い徳川家康の性格を表わしたとされる句。短気な織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえ」、機知にたけた豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かしてみしょう」の句で表わされる〉(「日本国語大辞典」)とあります。さて、ここからが本題ですが、ではこの句を最初に言い出したのは誰でしょう?
「日本国語大辞典」は、『甲子夜話』の「巻五十三」(東洋文庫『甲子夜話4』)を早い例としてあげています(類似の話はこれより早期の『耳袋』などにも載っています)。
著者の松浦静山は、〈或人〉の話として、〈人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く協(かな)へりとなん〉と前振りし、〈郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざり〉と続けます。で、以下の句。
〈なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府〉
〈鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤〉
〈なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様〉
私たちの知っている言い回しとは微妙に違いますが、ここにあの有名な三者三様の句が登場しているわけです。
何が言いたいのかと申しますと、静山が取り上げた句が現代においても命脈を保ち、かつ三者のイメージを決定づけているということです。これってすごいことじゃないかと、私などは思うわけです。
イメージに生きている武将と言えば、やはり真田幸村(信繁)を挙げないわけにはいかないでしょう。しかし幸村の名が定着したのは、大正時代のベストセラー「立川文庫」から。立川文庫は、講釈師の書いた講談本シリーズですが、『一休禅師』や『水戸黄門』という歴史上の人物に加えて、『猿飛佐助』、『真田十勇士』という創作も交えて人気を博しました。佐助や十勇士は幸村の家臣という設定ですから、ここに勇名が決定的になるのです。
静山は本書で、いち早く幸村(信繁)の逸話を掲載します。中には「真田丸」のエピソードも。
〈古人の伝聞には、この御陣(大坂冬の陣)のとき、茶臼山より真田丸迄の間三十丁余の積りにて御陣(家康の本陣)は居しが、実は十八丁ぞありける〉
30丁(約3.3km)のところに陣取ったが、実際は18丁(約2km)。実際と見た目の差に注意せよ、という軍学の話。静山の知識欲はとどまることを知りませんな。
ジャンル | 随筆/風俗 |
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書かれた時代 | 1800年代前半の江戸 |
読後に一言 | 松浦静山には、「好奇心」のスイッチでもあるのでしょうか。 |
効用 | 江戸の世相風俗を知るのに、絶好の資料です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす(巻五十三) |
類書 | 信繁の父・真田昌幸のエピソードも掲載する囲碁随筆『爛柯堂棋話(全2巻)』(東洋文庫332、334) 信繁の兄・真田信幸のエピソードも掲載する逸話集『想古録(全2巻)』(東洋文庫632、634) |
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