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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 606|608

『柴田収蔵日記1、2 村の洋学者』(柴田収蔵著、田中圭一編注)

2016/10/13
アイコン画像    彼女や妻に三行半をつきつけられたら?
酒と学問に生きた幕末の洋学者

 埼玉育ちなので、「上京」という言葉にピンとこないのですが、九州や中国地方の友人に聞くと、羽田空港に降り立った緊張感や、東京駅の喧噪を覚えているそうです。

 今は交通網も発達し、上京にそれほどの緊張も時間も伴わないでしょうが、さて江戸時代に故郷を離れて江戸に出てくるには、どんな覚悟が必要だったのでしょうか。

 『柴田収蔵日記』は、佐渡で生まれ育った柴田収蔵(1820~1859)という地理学者の日記です。収蔵は、『新訂坤輿略全図』という精巧な世界地図を残したことでも知られています(佐渡市のwebで地図が見られます)。

 収蔵は24歳の時に江戸に行き、蘭方医学を学ぶのですが、その時の決意が日記にしたためられています。


 〈今夜医学修行旅行相談極(る)〉


 ところがこれ、決意の裏には悲しい事実があります。「解題」によれば、妻に不倫され、出て行かれたというんですね。いわば、未練を断つための遊学でもあったのです。

 実際、この日記には「宿酔」という言葉が頻出します。二日酔いのことです。妻が出て行く前と後では、頻度が大きく異なります。ジャパンナレッジの東洋文庫検索によると、妻と暮らした日々を中心に綴った1巻には「宿酔」がページ数で(以下同)5、別離後の2巻には28! 「飲む」で検索すると、1巻は5、2巻は154! 「酌む」は2巻にしか登場しません(75)。

 明らかに、奥さんと別れた後、酒量が増えています(河島英五も寂しい時に男は酒を飲むと歌っています)。アル中にならずに踏ん張れたのは、収蔵の勉学への意気込みだった……とするのは、あまりにもうがち過ぎでしょうか。つまり、妻(彼女)に三行半をつきつけられた、という不幸を、上京のエネルギーに変えた、と。

 本書の日記から読み取れるのは、彼がたくさんの書物や資料を読み、写していたことです。


 〈仏と琉球との約条を写す。星図を写す〉


 という具合です。本書1巻には、日記に登場する書名リスト「書名解題」が付いていますが、これだけでも100冊近くにのぼります。

 離婚も失恋も裏切りも、男と女の間の哀しみは、すべて人生のバネなのでしょう。収蔵の『新訂坤輿略全図』を見て、つくづくそう思いました。



本を読む

『柴田収蔵日記1、2 村の洋学者』(柴田収蔵著、田中圭一編注)
今週のカルテ
ジャンル日記
時代 ・ 舞台1800年代半ばの江戸、佐渡
読後に一言家計簿のようなものも掲載されていて、収蔵の細かさがよくわかります。あるいは、細かすぎたのか……。
効用診療の記録も詳しく、当時の診療の実態がよくわかります。
印象深い一節

名言
いかに今日の人が賢くなったとはいっても、見かけだけではわからない。医者という者は医学を学ぶものでなければならない。(解説)
類書幕末の蘭医の娘の回想録『名ごりの夢』(東洋文庫9)
蘭学はどう受容されていったのか『前野蘭化(全3巻)』(東洋文庫600ほか)
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