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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 65

『日本史3 キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳)

2017/03/16
アイコン画像    苦行に喜びを見出したキリシタン
宣教師が見た戦国日本(3)

 16世紀、なぜキリスト教は日本に受け入れられたのか。『日本史』を読みながらずっと考えておりますが、『日本史3』にトンデモない記述を見つけました。


 〈日本のキリシタンたちは生来幾分苦行を好む傾向をもっている〉


 ん? 苦行? よく読んでいくと、その苦行とは「ヂシピリナ=鞭打ち」のことでした。


 〈(日本の)キリシタンたちは、皆驚嘆をおこさせるような厳しさで我が身を鞭打った。(中略)教会に到るまでの道は全く血で赤く染まっていたほどであった。しかも、それを行なったのは、男も女も同様であった〉


 この鞭は、〈普通結節をつけた細い麻紐を采配のように束ねてある〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」、「ジシピリナ」の項)もので、これで血を流すほど叩くのです。しかも本書には、〈ヂシピリナを行なわないようにと彼等に命令しなければならなかったほど〉という記述さえ見つかります。

 つまり、この時期のキリスト教の信仰は、身体的痛みを伴っていたのですね。

 調べてみると、「鞭打ち」自体は、ヨーロッパで一般的ではありません。〈中世における異端的キリスト教運動の一つ〉という扱いで、〈1349年,教皇クレメンス6世は,この運動を異端と宣して禁圧したが,消滅せず後世にも散見する〉(同「世界大百科事典」、「鞭打ち苦行者」の項)のだそうです。

 来日した宣教師たちも、病気治癒や祈祷用の道具として、信者に鞭を与えていますが、鞭打ちを奨励しているわけではありません。勝手に広まってしまったのです。

 この事実は何を意味するのでしょう?

 日本既存の宗教はこの頃、信者たちの「身体」とは無関係でした。神道も仏教も信者は祈願するだけ。修行は僧侶がするものであって、身体を用いた宗教的アプローチは、聖職者側にしか許されていなかったのです。

 仏教では、「三宝」(仏・法・僧)を敬え、と説きます。仏と法(教え)はともかく、僧を敬え、という言い方に私はずっと疑問でした。僧の側が、「三宝」と言うと、どうしても僧が一般人の上位に来ます。身体的修業は、僧と一般人を分ける特権的なツールだったのでは? と勘繰ります。一方で、一般人にしてみたら祈るだけでは物足りない。動乱の最中、身体に訴えかけてくる何かを得たい。これが、キリスト教の〈苦行〉的な受容になったのではないか? あくまで仮説ですが。



本を読む

『日本史3 キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳)
今週のカルテ
ジャンル記録/宗教
時代 ・ 舞台16世紀の日本(戦国~安土桃山時代)
読後に一言『日本史4』からは、いよいよ織田信長の登場です!
効用読んでいると痛くなります。自分を痛めつけざるを得なかったキリシタンたちの思いが伝わります。
印象深い一節

名言
彼等(僧)は民衆を欺いておいて、現世の膏血を吸いつくし、貧富双方から自分たちが欲するものを悉く手に入れるのである。
類書江戸時代のキリスト教護教論書と排耶書『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(東洋文庫14)
ギリシア人王とインド僧の対話『ミリンダ王の問い(全3巻)』(東洋文庫7ほか)
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