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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 164

『日本史4 キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳)

2017/03/23
アイコン画像    信長は、几帳面で節制生活だった!?
宣教師が見た戦国日本(4)

 〈近江国で、信長は新しい町と城と屋形とを安土山といわれる山上に造った。七階建で、彼の時代までに日本で建てられたうち最も威容を誇る豪華な建築であったという〉


 織田信長の「安土城」の記述です。安土城は、信長によって、〈天正4年(1576)に着工〉された城で、〈天守閣を中心とする本格的な近世の城の最初のもの〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)と言われています。〈城郭史からみて安土城が特筆されるのは、五層七重(地上6階地下1階)の天守閣が建てられたこと〉(同「ニッポニカ」)なのですが、焼失して今はなき姿を伝えるのが、ルイス・フロイスの『日本史』なのです(特に本書4巻)。

 長い引用になりますがフロイスの描写をみてください。


 〈屋形の富裕、座敷、窓の美しさ、座敷の内部に輝く金、赤い漆を塗った木柱と全部金色に塗った柱の数、食料庫の大きさ、多種多様な矮樹と、その下に大いに珍重されている自然巌の塊や、魚を放つ池、鳥を浮かべる池がある庭園の鮮やかな緑……〉


 彼らの驚嘆ぶりがみてとれます。

 信長が登場するまで、フロイスの筆致はどこか上から目線です。ところが信長に対しては敬服しています。〈耶蘇教に対しては好意的な態度を示した〉(同「国史大辞典」)ことももちろんですが、それだけではありません。人物として興味深く思っている。ゆえに描写が多いのです。特に「おっ」と思うところを抜き出してみます。


(1) 〈眠ること少なく、甚だ早起きであった〉
(2) 〈酒を飲まず、食事も適度〉
(3) 〈家居ではきわめて清潔を好み、諸事の指図にたいそう几帳面に気をくばっていた〉
(4) 〈戦運が彼に反するような場合、彼は度量が大きく、辛抱強かった〉
(5) 〈卑賤な、軽蔑されていた僕(しもべ)とも打解けて話した〉


 何かちゃんとした人でしょ? 〈気性激しく、癇癪もち〉だったともありますが、普段は違ったそうですし。

 最大限の褒め言葉は、これです。


 〈すぐれた理解力と明晰な判断力とをそなえた人〉


 現代社会でも、異文化を受け入れるかどうか、問われています。異国の宣教師を受け入れるという点で、信長の度量は大きい、と言わざるを得ません。では、信長が受け入れた理由は? それは次回、見ていきます。



本を読む

『日本史4 キリシタン伝来のころ』(ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳)
今週のカルテ
ジャンル記録/宗教
時代 ・ 舞台16世紀の日本(戦国~安土桃山時代)
読後に一言信長は人と会話する際、〈だらだら長びいたり、長たらしい前置きを嫌〉ったそうです。話の長い人(私もそうですが)、気をつけましょう。
効用逆に言えば、異文化の人間しか、信長の良さを理解できなかった、といえるかもしれません。
印象深い一節

名言
彼(織田信長)は中背痩躯で、髭は少なく、声は甚だ快調で、きわめて戦を好み、武技の修業に専念し、名誉心強く、義に厳しかった。
類書イタリア人宣教師の伝記『マッテオ・リッチ伝(全3巻)』(東洋文庫141ほか)
宣教師が見た中国『中国の医学と技術 イエズス会士書簡集』(東洋文庫301)
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