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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 113

『新訂 西洋紀聞』(新井白石著 宮崎道生校注)

2017/09/14
アイコン画像    新井白石と宣教師の対決の中で
誕生した「和魂洋才」という姿勢

 新聞や雑誌の記事を見ていると、いまだに「和魂洋才」という言葉が使われます。「やまと魂」もその系列だと思いますが、個人的には違和感のある言葉遣いです。もともと、〈幕末から明治にかけての西洋近代文化の急激広汎な摂取にあたっての心がまえとして「和魂漢才」という対照的用語例を、言いかえたもの〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)ですが、起源を辿っていったら、何と新井白石(1657~1725)に行きついてしまいました。

 白石は、将軍・徳川家宣、家継に仕えた儒者で、その時代の善政は「正徳の治」と呼ばれています。で、この白石、日本に潜入したイタリア人宣教師シドッチを尋問して、それを『西洋紀聞』として著わしているのですが、その中にこんな記述があります。


 〈彼方の学(西洋、キリスト教)のごときは、たゞ其形と器とに精しき事を、所謂形而下なるものゝみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず〉


 西洋は形而下、つまり物質(器)に優れているといい、形而上、つまり理念や精神はダメだと切り捨てます。これが、「和魂洋才」的なスタンスというわけです。それは、〈「和魂洋才(わこんようさい)」的考え方(器械など物質面では西洋が優れ、道徳など精神面では東洋、日本が優れているとする)をしている点で、鎖国制下における本書の思想史的役割は大きく……〉(同「ニッポニカ」)という評価に繋がっていきます。

 では、白石はどうして「洋魂はダメだ」となったのか。

 白石は宣教師シドッチにキリスト教の説明をさせます。シドッチは、天地を創造したのはデウス(神)だと説きます。ここはキリスト教の根幹の部分です。ところがこれに、白石は噛みつきます。


 〈デウス、もしよく自ら生れたらむには、などか天地もまた自ら成らざらむ〉


 じゃあ、その神はどこから生まれたのか。白石はこうツッコむのです。神が勝手に生まれたなら、天地だって勝手に生まれて来るんじゃないの? これが白石の論旨。


 白石は誰彼構わず、〈徹底的に論破したので、老中などからも「鬼」の異名をうけて忌みきらわれ〉(同「国史大辞典」)たそうですからねぇ。本領発揮というわけです。

 しかしこのツッコミ、揚げ足取りに近く、本筋からはずれています。これで「和魂洋才」と言われてもなあ、と私は思ったのですが、いかがでしょうか?



本を読む

『新訂 西洋紀聞』(新井白石著 宮崎道生校注)
今週のカルテ
ジャンル記録
成立した年代1700年代初め
読後に一言「鬼」と嫌われた白石は、〈孤立の状態に陥ってしまい、失意のうちに晩年をおくらざるをえなかった〉(同「国史大辞典」)のだそうです。切れすぎるのも辛いものです。
効用『采覧異言』や『新井白石日記』の抄録など、付録も充実しています。
印象深い一節

名言
大地、海水と相合て、其形円なる事、球のごとくにして、天円の中に居る。たとへば、鶏子の黄なる、青き内にあるがごとし。(「西洋紀聞 中」地球の説明)
類書江戸時代前期の日本での仏教・神道vsキリスト教の論争『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(東洋文庫14)
ドイツ人ケンペルの見た同時期の日本『江戸参府旅行日記』(東洋文庫303)
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