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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 359

『懐旧録 サンスクリット事始め』(南条文雄著 桜部建解説)

2017/09/28
アイコン画像    どんな経験もムダではない?
明治の高僧のオモシロ留学記

 米国大統領が「アメリカファースト」を唱えているあたりまでは笑っていられたのですが、日本でも平気で「ファースト」を掲げた政治団体が跋扈(ばっこ)し、あろうことか国のトップは「自分ファースト」で解散をしようと目論んでいます。もう笑えません。いつから、「自分のため」という行動原理が正当化されるようになったのでしょうか。

 宗教家ならば、何か心を落ち着けるヒントをくれるのでは、という安易な気持ちで『懐旧録 サンスクリット事始め』を紐解きましたが、いい意味で裏切られました。

 著書の南条文雄(なんじょう・ぶんゆう/1849~1927)は、〈明治仏教学界の先達とされる真宗大谷派の学僧〉で、〈イギリスのオックスフォード大学に留学〉し、ここで8年間、梵語(サンスクリット)を研究します。帰国後は〈大谷大学学長〉を長く務めました(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)。本書は、晩年に半生をふり返った回想です。さぞ、艱難辛苦が記されていると思いきや、文末に「(笑)」をつけたくなるような笑えるエピソードのオンパレード。〈外国語というものは一つも知らない〉状態でイギリスに留学すると、早々に友人とシェークスピア(本書ではセークスピィア)の観劇に。で、夜遅くなったために下宿を閉め出され、朝までほっつき歩いたという……。と、全編ほぼこんな調子で、悲壮感などまったくないのです。

 なぜか。おそらく2つの理由――氏の信念と言い換えてもいいもの――があります。


 〈一見はなはだ無益のような経験でも、ものは利用さえすればけっして無駄にはならないものである〉

 〈為法不為身の一句に終始すること五十有七年、今後もそれに変わりはない〉


 無益のような経験でも無駄ではない。この受け止め方はさすがです。失敗を面白おかしく振り返ることができるのはこのせいで、シェークスピアの一件も、本人の血肉になったということです。結果主義ではない。

 そして「為法不為身」。読み下すなら、「法の為にしてわが身の為にせず」。つまり、利己的利益のためにではなく法(宗教的真理)のために生きる、ということです。自分の失敗を笑い飛ばせるのも、「自分のため」に生きていないからかもしれません。

 「……わが身の為にせず」。こんな至極真っ当のことが、私には新鮮に感じられました。



本を読む

『懐旧録 サンスクリット事始め』(南条文雄著 桜部建解説)
今週のカルテ
ジャンル伝記/宗教
時代 ・ 舞台1866~1927年(日本、イギリス、アメリカ、インド、中国)
読後に一言本書は口述筆記も行われたようですが、インタビューアーはさぞ楽しかったでしょうね。
効用ことあるごとに引用される自作の漢詩には、唸らされます。
印象深い一節

名言
興いたればすなわち読み、労すればすなわち眠る
類書平安時代の僧円仁の入唐記『入唐求法巡礼行記(全2巻)』(東洋文庫157、442)
幕末のオランダ留学記『赤松則良半生談』(東洋文庫317)
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