1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
ぼろ切れも売り払って絵を求む――。 唐代の絵画マニアの絵画論。 |
マニアやコレクターと呼ばれる人たちがいます。いっときのようにオタクと蔑まれることはなくなりましたが、コレクションは場所をとるし、お金もかかります。家人がいればなおさら、肩身が狭いことは間違いありません(私は常に、妻より「その本、減らせないの?」と言われています)。
実は同じようなマニアの悩みを抱えていた人間が、唐代にもいたことを知って驚きました。『歴代名画記』の著者、張彦遠(ちょうげんえん)です。本書の中にこんなくだりが。
張彦遠は、絵を手に入れるために、時には〈ぼろ切れまで売り払い〉、食費も削ります。妻子や召使いも「無駄なこと」とあざ笑う始末。張彦遠の反論がこれ。
〈もしも無用なことをしないならば、どうして限りある人生を楽しむことができようか〉
いいですね、この開き直り。で、本人いわく、
〈ますます愛好熱が高まり、病癖(マニア)といってもよいほどになった〉
家人にとっては嘆息するほかないかもしれませんが、張彦遠がマニア道を一心不乱に突き進んだ結果、『歴代名画記』が誕生したのです。本書は、〈中国最初の本格的画史書〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)であり、(同著者の『法書要録』とあわせて)〈唐代以前の書画の歴史を研究するうえで最も重要な古典〉(同「世界大百科事典」、「張彦遠」の項)とされているのです。
唐代も現代社会も、「絵」は「役に立つか?」といったら、そうとはいえないものです。マニアも役には立ちません。社会や経済の流れからは遠いところにあります。
でもそれがいいのではないか、と最近思います。例えば、1941年12月8日、日米開戦のその日。小林秀雄、高村光太郎、伊藤整、斎藤茂吉……といった当代一流の知識人たちは、こぞって快哉を叫びました。その以前より、反米の世論がマスコミで興っていましたが、皆、それに乗ったのです(現在の嫌中、嫌韓ブームと重なります)。
唯一、知らんぷりを決め込んでいたのが、趣味人・永井荷風です。戦争に対して斜に構え、〈英国製の石鹸も五六個となりリプトン紅茶も残り少し。鎖国攘夷の悪風いつまで続くにや」(『断腸亭日乗』)と1943年の日記に記します。大きな流れを変えられないなら、せめて自分は趣味に生きる――。「マニアになる」というのは、今の時代、悪くない生き方かもしれません。
ジャンル | 美術 |
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舞台 ・ 成立 | 中国/唐代の9世紀半ば |
読後に一言 | 原文の書き下し+口語訳という構成で、非常に読みやすい本でした。 |
効用 | 膨大な数の絵師の紹介があり、この本のひとつの特徴となっています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 絵画というものは、聖人の教化を成しとげ、人倫の道を助け、造化のはたらきをきわめ、実在の神秘をさぐり、経典のような功用をもち、四季のめぐりのようなうごきをする(「画の源流を叙ぶ」) |
類書 | 唐代の百科全書的エッセイ集『酉陽雑俎(全5巻)』(東洋文庫382ほか) 唐代の詩集『唐詩三百首(全3巻)』(東洋文庫239ほか) |
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