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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 84

『幕府衰亡論』(福地源一郎著、石塚裕道校注)

2011/03/03
アイコン画像    江戸幕府はどうして滅びたのか。明治の反政府ジャーナリストが分析する滅亡の歴史。

 〈この日や、いわゆる上巳(桃の節句)の式日〔陰暦三月三日〕にて、諸大小名はみな将軍家へ拝賀のために登城したりける所に、この変事の注進ありければ、城内は上を下へと湧くが如き騒動にて、井伊邸内の武士は水戸こそ当の敵なれ、イデ打って出て水戸邸に押寄すべし……〉


 これは明治きってのジャーナリスト、元幕臣・福地桜痴(源一郎)による『幕府衰亡論』の一節である。さていったい何の事件の描写でしょう? 

 幕末、上巳(じょうし)=桃の節句に起こった凶事といえば、大老・井伊直弼が殺害された「桜田門外の変」である(正解したアナタ、ぜひ江戸文化歴史検定を受けてみては?)。

 そもそも「上巳」とは、〈水辺に出て不祥を除くための禊(みそぎ)・祓(はらえ)を行い、宴会を催して祝す〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)という中国伝来の行事だ。その歴史は古く、源氏物語の「須磨」でも、都から流された光源氏が、〈今日なむ、かく思すことある人は、禊したまふべき〉と暴風雨の中に海辺に行って、〈舟にことごとしき人形のせて流す〉なんてことをしている(ジャパンナレッジ「新編 日本古典文学全集」)。

 井伊掃部頭を討った水戸藩士にとってみれば、日本を祓い清めたつもりだったのだろう。福地によれば、幕府は〈侍医を遣わし医薬を賜わりて存命の躰面を繕〉ったり、と体裁を整えることに汲々としたという。で、結果。


 〈朝野上下、心あるも心なきも、みな幕府の愚を嗤わざる者はなかりき〉


 これを契機に幕府の権威は失墜し、まさに幕府衰亡の転機となったのであった。

 『幕府衰亡論』は、薩長に牛耳られた明治政府をよしとしない福地桜痴の、いわば嘆きの書だ。福地は幕府衰亡の理由をこう説明する。

(1)前例踏襲で、幕府側が朝廷の官位をもらい続けた。

(2)幕府は朱子学を官学として保護した。

 朱子学では、君臣上下の身分的秩序を絶対視する。幕府が朝廷から官位をもらうということは、朝廷が常に上ということだ。だから「勤王」という発想も生まれる。


 〈かく諸種の因由よりして、勤王の志が幕府において養成せられたるは、その養成の因は、その熟するにおいて開発の機会あるべきは必然の数(道理)なり〉


 というわけで、「3月3日は江戸幕府滅亡が始まった日」として、私は記憶にとどめることにする。

本を読む

『幕府衰亡論』(福地源一郎著、石塚裕道校注)
今週のカルテ
ジャンル歴史/評論
時代 ・ 舞台幕末~明治の日本
読後に一言明治維新、持ち上げすぎるのもどうなのかなあ、とあらためて思いました。
効用当時、世論は維新の賛美一色。その中で断固、異を唱える。易きに流れない姿勢を、ここから学べるのではないか。
印象深い一節

名言
徳川幕府二百八十年の泰平を保ちたるものは、封建の制度なり。而して、徳川氏十五世の幕府を亡ぼしたるもまた実に封建の制度なりとす。
類書姉妹編『幕末政治家』(東洋文庫501)
最後の将軍・徳川慶喜の回想談『昔夢会筆記』(東洋文庫76)
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