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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 60

『京都守護職始末2 旧会津藩老臣の手記』(山川浩著 金子光晴訳 遠山茂樹校注)

2017/11/16
アイコン画像    最後の将軍は“言うだけ番長”?
元会津藩士による幕末記録(2)

 なぜ江戸幕府は倒れたのか。

 今回のテーマですが、その前に、いかに私たちが明治維新を引きずっているかというお話を。

 明治維新によって薩長が権力を握り、内閣制度ができてからも、薩長から多くの首相が誕生します。で、調べてみたのですが、長州藩(のちに山口県)が突出しているのです。首相は8人輩出し、断トツの1位。「首相官邸」WEBの「内閣総理大臣一覧」には「在職日数」が載っているのですが、出身地を山口県とする首相の在職日数をすべて足すと、約1万4500日。伊藤博文が初代首相に就任した日から11月16日まで、約4万8000日。ざっくりいうと、30%の期間、長州藩・山口県出身首相がついているのです! 3割ですよ。これほど長州に牛耳られていたかと、啞然としました。

 さて維新のきっかけを作った大政奉還ですが、本書を読んでいると、「ここでこうしていれば……」というポイントがいくつもあります。本書の主人公とも言える松平容保(会津藩主)は、何度も意見します。ところがこれがどうにもうまくいかない。なぜか。


(1)公家の一部が暴走。孝明天皇の勅諚にも従わず、〈偽勅をすらも発布する〉。

(2)国のおかれている状況や、京都の状況を理解しようとしない幕閣(官僚)。


 江戸と京都の距離を感じます。現場を知らない官僚と、現場で苦労する容保。暗躍する公家。これではうまくいくはずもありません。薩長どうのという前に、「公武合体」のそれぞれの当事者が、視野狭窄になっていたのです。

 そして本書が、徹底的に批難するのは、この人物です。


 〈資性明敏で、学識もあり、その上世故に馴れているので、処断流るるがごとくであり、すこぶる人望のある人〉


 幕末にあって、幕府側で最も期待されていた人物とは――そう、徳川慶喜15代将軍です。でも、非難している内容じゃないって? おっしゃる通り、これには続きがあります。著者は、〈単に外観だけ〉と切って捨てます。


 〈志操堅固なところがなく、しばしば思慮が変り、そのため前後でその所断を異にすることがあっても、あえて自ら反省しようともしない〉


 いわば、幕末の“言うだけ番長”。実際、「任せろ」と言いながら逃げること数知れず。時代の節目には、こういう輩が、必ずあらわれるんですね。そして、容保のような賢者が、必ずしも時代の勝者にはならないのです。



本を読む

『京都守護職始末2 旧会津藩老臣の手記』(山川浩著 金子光晴訳 遠山茂樹校注)
今週のカルテ
ジャンル記録/歴史
時代 ・ 舞台幕末の京都
読後に一言「名言(↓)」を読んでもらえばおわかりの通り、彼らは反省します。賢者は反省し、愚者は忘れるのです。
効用幕末の細かい流れが、非常によくわかります。ちょっとしたことで、時代は大きく動いてしまうのです。その恐ろしさがよくわかります。
印象深い一節

名言
六年の間、公武の間に周旋して、幕府をして朝廷に尊崇せしめ、先朝の叡旨によりて公武一和を謀ったのに、はしなくも天譴に触れ、遂にこの密勅(倒幕および会津・桑名の誅伐の命令)が出るに至ったのは、天か、命か。それとも性駑(ど)にして至誠九天に達しないためであろうか(二九「密勅」)
類書徳川慶喜の回想録『昔夢会筆記』(東洋文庫76)
渋沢栄一による擁護本『徳川慶喜公伝(全4巻)』(東洋文庫88ほか)
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