1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
明治近代化の裏側にこの男あり 遭難者から実業家へ~明治維新編 |
前回の続きです。
1859年、アメリカ市民としてヒコ――23歳の浜田彦蔵はアメリカ領事館の通訳として日本に戻ってきます(第1巻)。14歳で遭難→アメリカ人になる→通訳として故国に凱旋……とここまででも十分波瀾万丈な人生ですが、ヒコはそれにとどまりません。彼は、商社マンに転身するのです(これが本書のメイン)。
ただの金儲けって話じゃありません。一例をあげます。
(1)日本初の新聞発行
〈私は『海外新聞』を創刊した。木版刷りの日本語新聞で、外国のニュースを要約してのせている。これは日本語で印刷されて刊行された最初の新聞であった〉
(2)炭鉱開発の仲介者
〈本国人と外人との間に(高島炭鉱の経営で)合弁関係ができたのは、日本ではこれが最初の例であった〉
前回、米国大統領に謁見した初の日本人だと書きましたが、新聞発行も合弁会社も日本初。初物尽くしです。アメリカで見聞を広め、アメリカ国籍を持ち、当然英語を駆使しながら、日本生まれで日本語も話せる。〈日米通商条約の実施,遣米使節の派遣など外交交渉に活躍〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)するなど、ヒコは、当時の先端を行く国際人になっていたのです。
日米双方にとって、希有な存在です。ゆえに、彼のもとには人が集まってきます。
伊藤博文、桂小五郎(木戸孝允)、井上聞多(馨)らともお友だちで、一時期長州藩の代理人を務めます。長崎の「グラバー邸」で知られる武器商人のグラバーとは仕事仲間(ちなみにヒコゆかりのグラバー邸も高島炭鉱も世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に指定されています)。五代友厚も知人。大蔵省に入り、渋沢栄一のもとで国立銀行条例の編集にもあたります。
自伝なので、そう都合の悪いことは書かないでしょうが、本書からは「金儲け」のニオイがしません。長州藩の代理人も無報酬ですし(当然、別の見返りはあったでしょうが)、請われれば、肥前藩の殿様のところにも講義に行きます。自分が「必要とされている」ところに、躊躇なく飛び込んでいく。ヒコとはそういう人物なのです。
しかしだからこそ、ヒコは「明治維新の目撃者」となれたのです。当事者のひとりであるヒコの目を通して語られる明治近代化の道は、非常にスリリングでした。
ジャンル | 伝記 |
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時代 ・ 舞台 | 日本、アメリカ(1863~1890年) |
読後に一言 | 54歳の時点で筆を置いているのが残念。浜田彦蔵は60歳でこの世を去ります。墓は青山霊園の外人墓地にあります。 |
効用 | 日米両方の立場で明治維新に深く関わったという意味で、浜田彦蔵は非常に希有な存在です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | (18年ぶりに故郷の村に戻って来て)おお、何たること!! どうしてこんなにも変わってしまったのか。(中略)何たる幻滅!! 家々はみすぼらしく、低く、見かけもあさましい……(九章) |
類書 | 幕吏が語る幕末外交史『幕末外交談(全2巻)』(東洋文庫69、72) 著者とも交流があった英国外交官『アーネスト・サトウ伝』(東洋文庫648) |
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(2024年5月時点)