1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
日英同盟成立の裏側には、 旧幕臣の働きがあった |
物騒な世の中になってきたな、と思います。
治安の問題じゃありません。自衛官幹部が野党議員に「お前は国民の敵だ!」と罵ったとされ、かつそれを防衛相が「若い隊員なのでさまざまな思いもある」と擁護するような発言をしたことに対して、です。同じ国に住みながら敵と味方がいるのでしょうか? いつから日本は、「味方(オトモダチ)ならどこまでも擁護する」「敵に対しては罵倒してもよい」という国になってしまったのでしょうか。
政治家の多くは明治維新が大好きですが、維新は一方で、敵も味方も関係なく優秀な人材を登用することで国難を乗りきろうとしました。
例えば幕臣・榎本武揚(1836~1908)。彼は五稜郭に籠もり、最後まで新政府軍と戦いましたが、優秀であったゆえに、〈新政府のもとで海軍中将、諸大臣、枢密院顧問官などを歴任〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)しました。
本書の著者・林董(はやし・ただす/1850~1913)もまた、榎本武揚に従って函館で戦った「敵」のひとりです。しかし明治政府は、彼を重用したのです。
〈(1871年)陸奥宗光の推挙で神奈川県出仕,同年岩倉使節団に随行。帰国後工部省,逓信省,香川県知事を経て,91年外務次官となり条約改正に尽力〉(同「世界大百科事典」)
では林董は何を評価されたのでしょうか。
本書によると、10歳にも満たない頃、林は浅草で〈威風堂々〉とした西洋人を見かけます。〈子供心に欽羨(きんせん)に堪えず〉と言いますから、余程羨ましいと思ったのでしょう。林はその思いを傍らの母に告げます。
〈母君に思うよしを語りたるに、勉強さえすれば、誰れにても彼(あ)の様になれるものぞと諭されたる言は、今にも耳底に残るが如き心地す〉
林は13歳で英語を学び始め、17歳で幕府派遣英国留学生としてロンドンで学びます。彼には、「西洋人と対等でいたい」という思いがあったのでしょう。林は英国で、英語力のある国際人へと成長します。
将来のために幕府が用意した林のような人材を、敵味方関係なく、新政府が登用した。これが明治維新のもうひとつの側面です。林はのちに外交官として、日英同盟交渉の前線に立ちます(本書収録の口述「日英同盟の真実」は、第一級の史料です)。
誰もが私利私欲ではなく、国のために全力を尽くした。明治とは、そういう時代だったともいえるでしょう。
ジャンル | 伝記/政治経済 |
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時代 ・ 舞台 | 幕末・明治の日本 |
読後に一言 | 林董の行動は常に一貫していて、大物政治家と意見を異にしても、決してブレません。官僚の鑑ですね。 |
効用 | 本書は、自叙伝「林董回顧録」、口述筆記の「後は昔の記」、「日英同盟の真相」の三遍からなります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 他の之を認めざるも意とせず、認めたりとて喜ぶにもあらざるなり。(「解説」所収、明治44年6月『太陽臨時増刊号』での林董評より) |
類書 | 不平等条約の改正に尽力した外交官『青木周蔵自伝』(東洋文庫168) 日英同盟など外交にも手腕を発揮『桂太郎自伝』(東洋文庫563) |
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