1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
ソシュール言語学を先取りしていた!? 5世紀のインド言語学のすごさを知る |
私のなりわいのひとつは、「インタビュアー」ですが、しばしば、“自分の器の大きさ”について考えさせられます。目の前の人物が喋っていることを受けとめるのがインタビューなのですが、相手の話が自分の器よりはるかに大きいと、すべてをすくい取ることができないのです。溢れてしまう。
器を大きくするには、専ら、自分より優れた人物の言葉や、ムズカシイ本をインプットするほかありません。詰め込んで、少しずつ広げていくのです。
本書『古典インドの言語哲学』は、器を広げるべく手に取ったのですが、正直なところ、そんな余裕はありませんでした(いうなれば今回のコラムは、敗戦記です)。
著者バルトリハリは、〈古代インド,5世紀後半の文法学者,哲学者〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)です。本書は、こんなふうに始まります。
〈はじまりももたず終りももたない[永遠なものである]ブラフマンは、コトバそれ自体であり、不滅の字音(アクシヤラ)である〉
「ブラフマン」をジャパンナレッジで調べると、〈「宇宙の最高原理」を示すインド哲学の術語〉(「ニッポニカ」)とあります。
読破した上で、冒頭の一文を乱暴に解釈すると、いわば「はじめに言葉ありき」。対象があって、固有名詞が付けられるのではなく、まずコトバ=ブラフマンがあって、それによって対象が存在する。
のちの構造主義に多大な影響を与えた言語学者のソシュールは、〈言語以前には判然とした認識対象は存在しない〉(「ニッポニカ」)と主張しました。似てますよね?
〈文の意味は関係であって、それのどこにも本質は存在していない〉
これ、本書の中の一節ですが、ソシュールの『一般言語学講義』にあっても不思議じゃありません。ソシュールは、〈人間諸科学の方法とエピステモロジー(認識論)における「実体論から関係論へ」というパラダイム変換を用意した〉(「ニッポニカ」)と評価されていますが、バルトリハリが一貫して説いていることもまた、関係論なのです。
ああ、読めば読むほど、バルトリハリはソシュール言語学を先取りしていたと思えてきます。でも私の器ではここまでが限界。無責任ですがここから先の分析は、読者の方に委ねます。
ジャンル | 思想/文学 |
---|---|
時代 ・ 舞台 | 5世紀のインド |
読後に一言 | 「なんか似ている」という浅い言葉しか見つけられませんでした。学生時代、さんざんソシュールを読んだのですが……(苦笑)。 |
効用 | 言語学の書であり、一方で、哲学書でもあります。その深さに唸らされるでしょう。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 知性は、様々な伝統に親しんでこそ批判的な慧眼を獲得する。(第三四章「エピローグ――パーニニ文法学の伝統」) |
類書 | 古代インドの政策論『ニーティサーラ』(東洋文庫553) 古代インドの性愛の書『完訳 カーマ・スートラ』(東洋文庫628) |
ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
(2024年5月時点)