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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 637|638

『古典インドの言語哲学1、2』(バルトリハリ著 赤松明彦訳注)

2018/06/14
アイコン画像    ソシュール言語学を先取りしていた!?
5世紀のインド言語学のすごさを知る

 私のなりわいのひとつは、「インタビュアー」ですが、しばしば、“自分の器の大きさ”について考えさせられます。目の前の人物が喋っていることを受けとめるのがインタビューなのですが、相手の話が自分の器よりはるかに大きいと、すべてをすくい取ることができないのです。溢れてしまう。

 器を大きくするには、専ら、自分より優れた人物の言葉や、ムズカシイ本をインプットするほかありません。詰め込んで、少しずつ広げていくのです。

 本書『古典インドの言語哲学』は、器を広げるべく手に取ったのですが、正直なところ、そんな余裕はありませんでした(いうなれば今回のコラムは、敗戦記です)。

 著者バルトリハリは、〈古代インド,5世紀後半の文法学者,哲学者〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)です。本書は、こんなふうに始まります。


 〈はじまりももたず終りももたない[永遠なものである]ブラフマンは、コトバそれ自体であり、不滅の字音(アクシヤラ)である〉


 「ブラフマン」をジャパンナレッジで調べると、〈「宇宙の最高原理」を示すインド哲学の術語〉(「ニッポニカ」)とあります。

 読破した上で、冒頭の一文を乱暴に解釈すると、いわば「はじめに言葉ありき」。対象があって、固有名詞が付けられるのではなく、まずコトバ=ブラフマンがあって、それによって対象が存在する。

 のちの構造主義に多大な影響を与えた言語学者のソシュールは、〈言語以前には判然とした認識対象は存在しない〉(「ニッポニカ」)と主張しました。似てますよね?


 〈文の意味は関係であって、それのどこにも本質は存在していない〉


 これ、本書の中の一節ですが、ソシュールの『一般言語学講義』にあっても不思議じゃありません。ソシュールは、〈人間諸科学の方法とエピステモロジー(認識論)における「実体論から関係論へ」というパラダイム変換を用意した〉(「ニッポニカ」)と評価されていますが、バルトリハリが一貫して説いていることもまた、関係論なのです。

 ああ、読めば読むほど、バルトリハリはソシュール言語学を先取りしていたと思えてきます。でも私の器ではここまでが限界。無責任ですがここから先の分析は、読者の方に委ねます。



本を読む

『古典インドの言語哲学1、2』(バルトリハリ著 赤松明彦訳注)
今週のカルテ
ジャンル思想/文学
時代 ・ 舞台5世紀のインド
読後に一言「なんか似ている」という浅い言葉しか見つけられませんでした。学生時代、さんざんソシュールを読んだのですが……(苦笑)。
効用言語学の書であり、一方で、哲学書でもあります。その深さに唸らされるでしょう。
印象深い一節

名言
知性は、様々な伝統に親しんでこそ批判的な慧眼を獲得する。(第三四章「エピローグ――パーニニ文法学の伝統」)
類書古代インドの政策論『ニーティサーラ』(東洋文庫553)
古代インドの性愛の書『完訳 カーマ・スートラ』(東洋文庫628)
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