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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 429

『パークス伝 日本駐在の日々』(F.V.ディキンズ著 高梨健吉訳)

2018/08/30
アイコン画像    維新の陰に、英国公使の奮闘があった
イギリスから見た幕末・明治の外交史

 前回、アーネスト・サトウを取り上げたので、となるとお次はこの人です。サトウの上司、駐日イギリス全権公使兼総領事のパークス(1828~1885)です。調べて驚いたのですが、パークスはわずか13歳で中国に渡ります。14歳から書記官の下で働き始め、以来、外交官一筋。その生涯の大半を東アジアで過ごしました。

 日本にやってきたのは37歳の時。2代目駐日公使に任命されてのことでした。本書『パークス伝』は、彼が赴任した1865年から離任する1883年までの18年間の日本滞在記録です。この本は、イギリスの外交記録や彼の手紙などから、パークスの功績を抜き出したものですが、「はしがき」のこの言葉がすべてを物語ります。


 〈日本における彼の外交の歴史は、結局のところ、日本そのものの歴史にほかならない〉


 〈江戸城開城を斡旋〉したのもパークスなら、薩長などの〈開明的政治勢力に接近してこれを支援し、倒幕・明治新政府樹立の政治路線の推進に大きな役割を果たした〉のもパークス(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)。

 本書によれば、〈(極東在勤中に)彼(パークス)の生命を狙う事件は十二回以上もあった〉にもかかわらず、彼は日本のために尽力するのです。


 〈私はこの新生政府をもり立てて、なんとか正しい軌道に乗せようと頑張っている。しかしときには、疲れて嫌になる仕事である〉


 〈疲れて嫌になる〉とは言うものの、娘からは〈(旅行先でも)せかせかと働いています。どうしてものんびりできないのです〉と指摘されていますから、根っからの仕事人間だったのでしょう。

 パークスの第一の目的は、あくまで、英国の権益を守ることと英国の貿易を発展させることだったので、条約改正問題などでは日本政府と対立しますが、基本的には、次のような考えに立っていました。


 〈日本政府は過渡期を経て改革活動(中略)の広い舞台に出たときに多くの試練や困難と戦わねばならぬことに対して私たちは深く同情すべきである〉


 鉄道を敷くべきだと政府に迫ったのもパークスですし、政府に事あるごとにアドバイスしました。

 長い目で見れば、相手国から搾取するより、安定的発展を遂げてくれたほうが自国の利益に繋がる。パークスはこう考えていたのでしょう。昨今の「自国ファースト」の風潮のアラが、パークスを通じて見えて来ました。



本を読む

『パークス伝 日本駐在の日々』(F.V.ディキンズ著 高梨健吉訳)
今週のカルテ
ジャンル政経/伝記
時代 ・ 舞台幕末から明治の日本
読後に一言明治政府が「ちょんまげ禁止」の布告を出したことはよく知られていますが、本書によれば、〈昼寝がしたくなるから畳の上で執務するのはよくない〉というお達しも出たそうです。ということは、江戸時代の武士は、昼寝ばかりしていたのでしょうか?
効用あくまで「英国から見た」という制限がありますが、極めて貴重な幕末から明治の外交・政治資料でしょう。
印象深い一節

名言
彼(パークス)は日本の統一と、日本が世界各国の中に入って絶えず地位の向上を図ることが、彼の副次的な任務の目的であるばかりでなく、それ自体が最も望ましいことであると、彼は心の中で考えていた(第18章「英国公使館とその主人」)
類書英国人記者の幕末・維新の記録『ヤング・ジャパン(全3巻)』(東洋文庫156ほか)
徳川慶喜から見たパークス像もわかる『昔夢会筆記』(東洋文庫76)
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