1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
イエズス会士たちの “ミッション:インポッシブル” |
フリージャーナリストの安田純平さんの一連の騒動で、ネットではさまざまな意見が飛び交いましたが、個人的に驚いたのは、「平和を訴えるなら、戦地に行かなくてもできる」というような批判的書き込みでした。現場に行かなければわからないことがあるのにな。ジャーナリストにとっては、現地を取材することが職業としての“ミッション”です。登山家が山に登るようなものです。
というわけで、テーマは“ミッション”です。
テキストは『イエズス会士中国書簡集1 康煕編』。18世紀初頭、清朝・康煕帝の代に、中国に派遣されたフランス・イエズス会士の中国布教報告集です。
これ、実は「ミッションの書」とでもいうべき本なんです(検索すると「ミッション」が50ページほどヒットします)。著者(書簡の書き手)は宣教師ですから、「ミッション」は「伝道」と訳したくなるのですが、訳者はなぜか「伝道」と訳さず、「ミッション」のまま用いています。
〈わたしとしましては、わたしに固定したミッションが与えられること、近日中にそれが約束されること、そのミッションがつらい、貧しい、骨の折れるものであり、多大の苦労を要し、また多大の収穫があがることをわたしに期待させるものであることを当てにしています〉
どうでしょう? これら「ミッション」を「伝導」と訳してしまうと、こぼれ落ちるニュアンスがあります。訳者は、「ミッション」の別の意味である「任務」や「使命」という言葉を重ねているのではないでしょうか。
さて彼らイエズス会士たちは、なぜか「困難なミッション」を切望します(トム・クルーズか!)。例えばこんな調子。
〈ミッションが波瀾と侮辱とによってはじまったことにいたく満足し……〉
〈ひとつのミッションのはじまりというものは困難なもの……〉
イエス・キリストの犠牲によってキリスト教が成り立っているという歴史がそうさせるのかもしれませんが、明らかに彼らにとって「ミッション=困難なもの」です。そして困難なミッションへの挑戦に喜びを見出している。ミッションがあることが、幸せなのです。
さて安田さんにとって「シリア現地取材」はミッションでした。結果はともあれ、ミッションを持てた彼は幸せです。もしかしたら安田さんへの批判者は、無意識にそんな安田さんに嫉妬しているのかもしれません。
ジャンル | 宗教/記録 |
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時代・舞台 | 1700年代初頭の中国・清 |
読後に一言 | ワイドショーのMCやコメンテーターがジャーナリストを名乗るから、「ジャーナリスト」の意味が変容してしまったのかもしれません。 |
効用 | 康煕帝は、〈歴代王朝の数ある皇帝のなかでも名君の一人といわれる〉(「世界大百科事典」)皇帝です。彼の庇護で、中国でのキリスト教布教活動が進みます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | もし改宗が何千というひとびとに行なわれ、そこになんらの障碍も見出されないとしたら、われわれはわれわれのミッションにあって仕合せでありすぎるでしょう(「第一書簡」) |
類書 | 本書でもたびたび言及されるイタリア人宣教師の生涯『マッテオ・リッチ伝(全3巻)』(東洋文庫141ほか) フランス人宣教師が見た康煕帝『康煕帝伝』(東洋文庫155) |
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