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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 258|262

『日本医学史綱要1、2』(富士川游著 小川鼎三校注)

2019/01/24
アイコン画像    医学史の名著の中に、
反・愛国ポルノの精神を見た

 日本はいつから、自画自賛を良しとする国になってしまったのでしょうか。愛国ポルノの流れは、いまだ止まりません(wikiコピペの自画自賛系歴史本がベストセラーになるのですから)。某国大統領の台詞じゃありませんが、今の日本に謙虚さは感じられません。

 なぜでしょうか。

 思わぬところから、答えが見つかりました。『日本医学史綱要』です。

 本書の著者は、〈近代日本医史学の鼻祖〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)と称される医史学者・富士川游(ふじかわ・ゆう/1865~1940)です。彼の大著『日本医学史』(1904年)刊行の約30年後に、自ら簡潔にまとめ直したのが本書なのです。

 明治を生きた学者だけに、神代についても記述します。ところが、これが非常に冷静なのです。

 たとえば、大穴牟遅(オオナムチ)、少名毘古那(スクナビコナ)について。大穴牟遅は大国主(オオクニヌシ)のこと。少名毘古那は大国主と共に国造りを行なったとされる神で、〈医薬の神〉(同「デジタル大辞泉」、「少彦名神/少名毘古那神」の項)と伝わっています。実際、スクナビコナは、温泉や酒の神様としても祀られています。現在の愛国ポルノの流れならば、この両神を絶賛するところですが、著者はこう言い切ります。


 〈思うに、この両神は、その当時すでに久しく行なわれたる療病の方法を集めて以て医方の則を立てたるものならむ。もとより医方の鼻祖とすべきにあらず〉


 ではなぜ、著者はこの冷静さを身につけることができたのでしょうか。

 著者の経歴をみると、県立広島医学校を卒業後、民間会社の保険医を経て、30歳を過ぎてから、〈ドイツのイエナ大学に留学し、内科学、ことに神経病学と理学療法を修め〉(同「ニッポニカ」)ています。本書の大本になった『日本医学史』を著したのは、留学後です。当時の西洋医学の最先端に触れたことで、別の視点を獲得したといえるのではないでしょうか。

 留学した人間がおしなべて新たな視点を獲得できるわけではありませんが、医学の最先端を学んだ著者は、少なからず日本の医学の遅れを痛感したはずです。ゆえに自分たちの医学の現在地を掴むために、通史をしたためた。そういうことではないでしょうか。

 見方を変えれば、愛国ポルノは「学ぼうとしない人」が生み出しているのでは? 自己(自国)肯定しすぎることで、「今のままでいい」と現在の自分にあぐらをかき、それ以上学ばなくなってしまうのかもしれません。



本を読む

『日本医学史綱要1、2』(富士川游著 小川鼎三校注)
今週のカルテ
ジャンル科学/歴史
刊行年1933年
読後に一言著者の博覧強記に驚かされました。愛国ポルノに対抗するには、教養を身につけるしかありません。
効用有史以前の医学から江戸の医学まで、周辺の知識と共に振り返ることができます。
印象深い一節

名言
身体の汚穢を祓除するの意にて沐浴大いに行なわれしが、これも治病の法として用いられたり。(第一章 太古の医学)
類書同著者の名著『日本疾病史』(東洋文庫133)
幕末・明治の2人の医師の自伝『松本順自伝・長与専斎自伝』(東洋文庫386)
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