1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
不安な世の中を生き抜く術とは? 幕末の争乱を生きた女性にまなぶ |
〈1867年(慶応3)8月から翌年4月ころにかけ,伊勢神宮の神符等が降下したということを契機に,畿内・東海地区を中心に〉、〈狂乱的な民衆運動〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)がおこります。ご存じ、「ええじゃないか」です。〈民衆の意識としては、この御札の降下に世直しをみていた〉(同「ニッポニカ」)のだそうですが、実際はどんな様子だったのでしょうか。
〈女は男となり、男は女となり、色々趣向の風俗、驚眼にて、音曲、三味、太皷、笛、つゞみ、かね、鈴、思ひ思ひにはやし立、ヨイジャナイカヨイジャナイカヨイジャナイカと申て踊り、知らぬ人でも、侍でも、道にて出逢候人の手を取り、踊らんか踊らんかと申、踊り歩行〉
幕末から明治の貴重な記録『小梅日記』に描かれた「ええじゃないか」です。著者の川合小梅は紀州藩(和歌山県)の在なので、畿内・東海地区を中心に起きた「ええじゃないか」は紀州も例外ではなかったのです。
いろいろな理由はあるでしょうが、“戦争”もまた、ひとつの要因ではないかと考えます。不安が、人々を何かに駆り立てたのではないか――。
事実、万延元年(1860)あたりを境に、倒幕派藩士による外国要人殺害が相次ぎます。まさにテロです。そして桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争、蛤御門の変、第1次長州征討……と戦に次ぐ戦。「ええじゃないか」が起こった翌年、戊辰戦争に突入します。幕末は戦乱の時代ともいえるのです。明治になっても戦争は終わりません。明治10年(1877)、西南戦争が勃発するのですから。
ではそんな中、庶民はどう生きたのでしょうか。
〈薩摩とのたゝたかひ(西南戦争)にて米段々直上るとの沙た〉
戦が、庶民の生活を圧迫していった様が見て取れます。
〈歌に、かてば官軍、まくればぞく(賊)徒、友にゆこうよどこ迄もとうたひながらたゝかふよし也〉
兵士たちの悲しみが伝わってきます。
さてこんな荒れた時代を、小梅はどう乗り切ったのでしょうか。
〈世の末に、乱世に成時は、いろいろのあやしみあれども、何ぶんにもつゝしみ候(そうろう)より仕方なし〉
なるほど、慎む。「新選漢和辞典 Web版」(ジャパンナレッジ)によると、「慎」には、〈心を引きしめる〉という意味があります。何ぶんにも慎む=心を引き締める――金言です。
ジャンル | 日記/記録 |
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時代・舞台 | 幕末~明治初頭の日本 |
読後に一言 | 権力に対して慎ましやかである必要はありませんが、自分に対して慎ましくありたいと思います。 |
効用 | 歴史の教科書からこぼれ落ちてしまったものが見えてきます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 白妙の雪か花かと詠(なが)むれば 豊年しるき早咲きの梅 |
類書 | 幕末に誕生した天理教の聖典『みかぐらうた・おふでさき』(東洋文庫300) 明治庶民の生活史『明治東京逸聞史1、2』(東洋文庫135、142) |
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(2024年5月時点)