1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
あくなき追求の先に“継続”アリ 中国伝統の景徳鎮窯のレポート |
「伝統」という言葉に滅法弱い私たち日本人は、「伝統工芸品」およびそれを生み出す人たちを尊敬してやみません。一方で、「工芸品」という名からも明らかなように、これらは「美術品」ではありません。作家ではなく、職人が生み出してきたものです。
何が言いたいかというと、「伝統工芸品」もまた、「産業」であるということです。需要があってはじめて、伝統は守り続けられるのです。ここに伝統工芸品の難しさがあります。職人の心意気だけでは、どうにもならないのです。
「景徳鎮窯」のあり方は、ひとつの解かもしれません。
景徳鎮窯は、〈中国江西省景徳鎮にある中国最大の陶窯〉で、〈唐代に昌南鎮窯として始まり〉ました(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)。
本書『景徳鎮陶録』は、景徳鎮窯の全貌を紹介する本なのですが、これが見ていて面白い。「見ていて」というのは、1巻の30数頁が景徳鎮の様子を描いた図絵だからです。文章も賑わいを伝えます。当時の景徳鎮(けいとくちん/チントーチェン)は、商人たちの肩がぶつかり合い、荷車の車が擦れ合うほどだったといいます。
ではなぜここまでの賑わいだったのでしょうか。
〈然るに景徳鎮の陶業は〔南朝末の陳より今に至るまで〕一千余年間その地に継続したのであるから〔技術は弥(いや)が上にも精練され〕、したがって精巧な鎮瓷(ちんし/景徳鎮で焼いた磁器)を行使して得られる利便は十数省に亘り、他窯の及ぶ所ではない〉
ようは、〈一千余年間その地に継続した〉ことである、と。単純といえば単純な答えですが、続けることこそ、難しいのでしょう。
続けるためには手段を選びません。時の皇帝が好色だと知れば、献上するために、器に、〈男女交合の絵〉を描きました。
では現在はどうなっているのでしょうか。
〈太平天国の乱等の清末の動乱〉(同「世界大百科事典」)、あるいは、〈需要過多のために粗品が多くなった〉(同「ニッポニカ」)こともあり一時衰退しますが、〈昨今は近代工業都市的構想のもとに、陶瓷(とうし)研究所や陶器館を中心として、往年の盛況に戻りつつある〉(同前)
『景徳鎮陶録』でも、その研究熱心なさまは伺えます。いろんな意味で、あくなき追求の先に“継続”がある、ということなのでしょう。
ジャンル | 産業 |
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刊行年 | 1815年/中国・清 |
読後に一言 | 本書によると、器のヒビには、魑魅魍魎が隠れ住むそうですよ。 |
効用 | 窯業に関するさまざまな文献・記述も紹介していて、これ一冊で窯業のなんたるかがわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 業は陶器を製し利は天下に済(くわ)わる。〔故に〕四方遠近の地より、その技能を挾みこの技術労働で生計を立てようとする者はこの地に趨(おもむ)くこと鶩(あひる)の如くならざる者はない。(『景徳鎮陶録2』「巻八 陶説雑編上」) |
類書 | フランス人がレポートする景徳鎮『中国陶瓷見聞録』(東洋文庫363) 中国・明代の産業技術がわかる『天工開物』(東洋文庫130) |
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