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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 575

『論語徴1』(荻生徂来著 小川環樹訳注)

2019/03/14
アイコン画像    「朝に道を聞かば」さてどうする?
徳川思想史の巨人に挑む(1)

 〈炒り豆をかじりながら,古今の人物を罵るは,最大の快事なり〉(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」)

 発言の主は、荻生徂徠(1666~1728)。江戸を代表する儒者です。この言葉だけですと、皮肉屋のオヤジにしか見えませんが、

 〈人の長所を見抜いて、その才能を助長する力量があり、放縦乱行のある人に対しても、これを見捨てることをしなかった〉(同「国史大辞典」)

 〈学問上では細心であったが、対人関係では豪放で寛容であり、多様な個性の尊重を説く……〉(同「ニッポニカ」)

 と軒並み高評価です。

 では、主著である『論語徴』を読んでみましょう……といきたいところですが、これが原文のままなので、難儀しました。正直に言うと、当欄で取り上げようと思っては止め、の繰り返しでした。しかし〈徳川思想史の転回点に立つ巨人〉(同「世界大百科事典」)と評価される荻生徂徠の主著を無視し続けるわけにもいかず……。

 有名な言葉を手がかりに読んでみます。


 〈子曰(のたま)はく、「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも、可なり」と〉(里仁篇)〉


 これを徂徠は、こう解釈します。


 〈孔子 至るところ訪求し、汲汲乎(きふきふこ)として已(や)まず、その地に墜ちんことを恐るるなり。「夕に死すとも可なり」とは、孔子みづからその道を求むるの心 是(かく)の若(ごと)く其れ甚しきを言ふなり。後人(こうじん) 詩を學ばず、言語の道の本(も)と是の若くなるを知らず。ゆゑにその過ぎたること甚しきを疑ふ〉


 通常、「朝に道を聞いたならば夕に死んでも差し支えない」(宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫)と解釈されます。ところが、徂徠の解釈はもっと踏み込んでいるように思いますが、どうでしょうか? いわく、道を求めなければ堕落する。孔子の道を求める姿勢は、「夕に死すとも、可なり」というぐらい苛烈である。

 『論語』の解釈をする前に、徂徠の説明を解釈しなければならないという……。「難儀」という理由がわかっていただけたでしょうか。

 荻生徂徠は、〈中国古代の文章(古文辞)で表現された儒典を正しく理解〉するのには、〈古文辞自体の客観的研究が必要だと喝破し〉ます(同「世界大百科事典」)。

 『論語徴』はそのひとつの成果なのです。



本を読む

『論語徴1』(荻生徂来著 小川環樹訳注)
今週のカルテ
ジャンル思想
刊行年1700年代
読後に一言さて当欄としては、『論語徴2』でもう一度、徂徠に臨みます。
効用〈独創的な方法論と古典解釈によって17世紀後半以降の宋学批判を完成させ〉(同「世界大百科事典」)たと評価される荻生徂徠。その成果にぜひ挑んでみてください。
印象深い一節

名言
君子とは上(かみ)に在るの德ある者なり(乙「里仁第四」)
類書『四書五経』への評価とこれらを生み出した古代中国人の心『四書五経』(東洋文庫44)
荻生徂来の幕府政治改革案『政談』(東洋文庫811)※ジャパンナレッジ未収録
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