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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 345

『御ふみ』(蓮如著 出雲路修校注)

2019/03/28
アイコン画像    生きるのも日常、死ぬのも日常
春の季語「蓮如忌」に思う

 暇に任せて「歳時記」をつらつら(時にうつらうつら)眺めていたら、こんな季語を見つけました。

【蓮如忌日】〈陰暦三月二十五日。浄土真宗の中興の祖、蓮如上人の忌日〉(『現代俳句歳時記 春』ハルキ文庫)

 私の手元には、ハルキ文庫版と角川ソフィア文庫版の歳時記があるのですが、両書とも載せていたのがこの句。


 〈蓮如忌やをさな覚えの御文章〉(富安風生)


 「御文章」(ごぶんしょう)とは、〈本願寺第8世蓮如(れんにょ)が門徒に与えた書簡文を集めたもの。80通を、5巻におさめてある。浄土真宗の教義を平易に述べたもので、真宗大谷派では「おふみ」と称する〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)。門徒ではないので詳しくありませんが、浄土真宗では法事などでこの御文章=御文を読むことがあるそうです。

 と、ここまでくると扱わざるを得ません。東洋文庫には『御ふみ』の題で、蓮如の書簡集が収録されています。

 とまれ「他力本願」を語るには力不足。そこで他力本願とは異なるテーマの「白骨の章」(第五帖 十六)を取り上げます。


 〈……「おほよそはかなきものは、この世の始中終。まぼろしのごとくなる一期なり。(中略)我やさき、人やさき。けふともしらず、あすともしらず。をくれさきだつ人は、もとのしづく・すゑの露よりもしげし」といへり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆふべ)には白骨(はくこち)となれる身なり〉


 人の生涯は幻のようではかない。死ぬのは私が先か? それとも人が先か? 今日かもしれないし、明日かもしれない。植物の根本にかかる雫や葉先にたまる露が散るより頻繁に、人は死ぬと言われている。私たちは、朝、若く元気でも、夜には白骨となる身である――。

 少々乱暴に意訳すれば、こういうことでしょうか。

 本願寺第8世を継職したのは、蓮如43歳の時ですが、その後、〈比叡山延暦寺の弾圧〉は激しく、大谷本願寺は延暦寺の衆徒によって破却されます(同「世界大百科事典」)。世間に目を転じれば、この直後、応仁の乱が勃発。蓮如の生きた時代は“死”と隣り合わせでした。

 では“死”とどう向き合うか。


 〈たれの人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏まうすべきものなり〉


 後生とは、死後の浄土のことです。逆説的ですが、“後生の一大事”を大切にするために、むしろ“今”を精一杯生きろ、ということなのだと私は受け止めました。生も死も、同じ日常なのです。



本を読む

『御ふみ』(蓮如著 出雲路修校注)
今週のカルテ
ジャンル宗教
時代・舞台室町時代の日本
読後に一言「生きるのも日常、死ぬのも日常」。昨年9月に亡くなった樹木希林さんの言葉を思い出しました。
効用本書は、〈法語として蓮如の思想を示すとともに、一向一揆初期の政治関係史料としても貴重である〉(「ニッポニカ」)のだそうです。
印象深い一節

名言
まことに、死せんときは、かねてたのみをきつる、妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず(「第一帖」)
類書浄土真宗の開祖・親鸞のことば『歎異抄・執持鈔・口伝鈔・改邪鈔』(東洋文庫33)
同時代を生きた禅僧の生涯『一休和尚年譜(全2巻)』(東洋文庫641、642)
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