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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 170|205|271

『バタヴィア城日誌(全3巻)』(村上直次郎訳注 中村孝志校注)

2019/04/11
アイコン画像    江戸時代は「鎖国」じゃなかった!
オランダとの膨大な貿易の記録

 2年前に、「歴史教科書から“鎖国”表記消える」というニュースが流れたのを覚えているでしょうか。これは、小中学校の次期学習指導要領の改定案(2017年2月14日公表)を伝えるニュースでした。

 これはまさにその通りで、そもそも、〈この語が広まったのは、長崎出島オランダ商館付医師として来日したエンゲルベルト=ケンペルが帰国後出版した「日本誌」の中の一章を長崎通詞志筑忠雄が享和元年(一八〇一)「鎖国論」と題して邦訳し、幕末の日本知識人に影響を与えたことによる〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」、「鎖国」の項)ものだからです。〈鎖国令の断行された段階では、かならずしも国を鎖すという意識はなかった〉とされ、実際、〈スペイン、ポルトガルの両国以外の国々との貿易はとくに禁止していない〉のです(同「ニッポニカ」、「鎖国」の項)。

 その証拠ともいえるのが、『バタヴィア城日誌』です。

 「バタヴィア」とは、インドネシアの首都ジャカルタのことです。この地はスンダ・クラパ(スンダ族、椰子)として知られる港町でしたが、16世紀にポルトガル人が貿易拠点化を計りましたが、その後、イスラム軍が攻略して、〈ジャヤカルタJayakarta(〈偉大なる勝利〉の意)〉(同「世界大百科事典」)と改めます。17世紀にこの地の支配を巡り、オランダと英国が戦火を交え、オランダの勝利により、〈バタビア(オランダ民族のラテン名バタウィに由来)〉(同前)と改められました。さらに第二次大戦中に日本軍が支配し、ジャカルタの旧名に戻り、今に至ります。「バタヴィア」自体が、帝国主義の歴史を物語ります。

 オランダ東インド会社はバタヴィアにアジアの本拠地を置きます。本書は、本国への膨大な報告書の中から、日本・台湾に関する部分を抄出したものです。いわば、日本とオランダの貿易の記録。本書に目を通せば、その交易の頻度に驚くことでしょう。

 ただし、オランダ側から見れば、対日貿易は苦労が多かったようです。


 〈(出島に)親切なる言葉をもって迎えられしが、待遇は残酷にして、島の水門は閉鎖し、陸の門には番人を付してオランダ人のこれより出ることを許さず……〉


 とはいえ、交易があったのは事実。なるほど「鎖国」じゃないよな、と文科省の改定案に納得していたのですが、なんとその後のパブリックコメント(政府の意見公募手続)を経て、「鎖国」が復活していました! これ、調べていて今知ったのですが、「鎖国」復活のニュースって流れましたっけ?



本を読む

『バタヴィア城日誌(全3巻)』(村上直次郎訳注 中村孝志校注)
今週のカルテ
ジャンル記録/政治経済
時代・舞台17世紀のインドネシア、日本、台湾
読後に一言その後、明治政府が積極的に開国したから日本が発展した、というストーリーのためには、「鎖国」が必要なんでしょうか? ともあれ、日本は常に、各国の影響を受け続けているのです。
効用当欄では触れられませんでしたが、当時の台湾を知る上でも貴重な書物です。
印象深い一節

名言
南方アジアのある地方に産金地があるという伝説は古くギリシア、ローマの時代から存在したが(中略)、十六、七世紀になるとそれは、日本の東方海上に金銀島があるという形で信ぜられるにいたった(日誌1「一六三六年」注)
類書オランダ商館長カロンの日本評『日本大王国志』(東洋文庫90)
オランダ商館付医師ケンペルの見た日本『江戸参府旅行日記』(東洋文庫303)
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