1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
これぞ最高レベルの笑い? 自身の教養が 試される、江戸時代の狂詩ワールド。 |
日頃、冗談がすべりまくっている私は、「周囲の笑いのレベルが合わないんだ」と言い訳にもならぬ愚痴をこぼしているのだが、冗談でなく実際、「笑いのレベル」というものはあるんじゃないか、というのが今回の話。
映画で泣く。卒業式で泣く。……と「涙」はとかく共感しやすいのだが、「笑い」はそうじゃない。単純な笑いを別として、一般に「笑い」を支えているのは、「共通の教養」だ。例えば、パロディが成立するには、その大本を皆が知っていることが前提となる。
江戸の文化が、後世になっても評価され続けるのは、この「笑いの教養」レベルが高いからではないだろうか。滑稽本に洒落本しかり。どの新聞も欄を設ける「川柳」も、江戸時代に興ったものだ。その中でも「おぬし、やるなぁ」と私が唸ってしまうのが、「狂詩」である。何せこちらは、漢詩が母体だ。韻を踏んだり何だりと制約は極めて多く、かつ漢詩に親しんでいなければ、パロディにすらならない。
「狂詩」がメジャーになったのは、1767(明和4)年、江戸で寝惚先生(大田南畝)の『寝惚先生文集』が出たことによる。2年後には京都で銅脈先生(畠中観斎)が『太平楽府(たいへいがふ)』を刊行し、この両名は、〈天明・寛政期(1781~1801)まで東西の両大家として活動した〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)という。驚くべきは、この2人、当時まだ10代だった! 漢文という当時の公式文体を使って、「笑い」を持ち込む。いやはや恐るべき10代だ。
ではどんな調子なのか。銅脈先生「太平楽府」より。
〈弘法も筆の謬(あやま)り 猿も樹から落つ
吾も娼婦(おやま)に投(はま)って 多く銭(ぜに)を棄てたり
頭(こうべ)を回(めぐ)らせば 家財 残る物無し
今更籌(かぞ)え難し 死んだ子の年〉
「死んだ子の年を数える」とは諺で、取り返しのつかないことを未練たらしく振り返るという意味。この詩は「太平楽府」の締めくくりの作品で、当時、18歳の銅脈先生は、わが人生失敗だらけ、と自らを笑い飛ばしたのだ。
江戸時代に隆盛を極めた「詩」のパロディだが、狂歌(和歌)、狂詩(漢詩)、川柳(俳句)の中で、結局残ったのは川柳だけ。前二者は、作り手にとっては教養のハードルが高すぎたのか。実際、半可山人『半可山人詩鈔』や穴八先生『太平新書』も収められている狂詩集『太平楽府他』の質の高さに、正直、打ちのめされましたよ。
「笑い」を生み出すのはかくも難しい。仕方ない、皆からそのアホさを笑われるだけで、ヨシとしますか。
ジャンル | 文学 |
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時代 ・ 舞台 | 18世紀後半の上方 |
読後に一言 | 江戸時代の笑いのレベルの高さに、脱帽しました。 |
効用 | それでも読めば面白さは伝わって来ます。「ニヤリ」となること請け合い。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 詩とは、唐人(とうじん)の寝言なり。狂詩とは、日本人の寝言なり。(半可山人詩鈔序) |
類書 | 江戸時代の漢詩のベストセラー『唐詩選国字解(全3巻)』(東洋文庫405~407) 江戸の笑い『江戸小咄集(全2巻)』(東洋文庫192、196) |
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(2024年5月時点)