1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
ザビエルが目にした日本人とは!? 好奇心旺盛、それとも、しつこい? |
今からちょうど470年前の8月15日(旧暦・天文18年7月22日)、フランシスコ・ザビエルが日本(鹿児島)に上陸しました! アンジロウに出会ってから約2年後のことです。この時ザビエルは43歳。否が応でも期待が高まっていたはずです。
〈この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません〉
ザビエルが来日して3か月後に書き送った手紙です。これでもか、という大絶賛です。ところが……。
ご存じの通り、ザビエルが来日した1549年はすでに戦国時代。京で天皇や将軍に謁見し、キリスト教布教を認めてもらおうと目論んでいたザビエルですが、うまくいきません。日本人に対しても、辛辣になってきます。
〈他国人すべてを軽蔑しています〉
〈非常に好戦的な国民〉
ザビエルの日本批判は、次第に増えていきます。極めつけはこれ。
〈日本人はほとんど間題がないような〔小さなことでも〕とくに外国人にうるさくつきまとって〔質問し〕、外国人たちを馬鹿にして、いつもあざ笑っています〉
好奇心旺盛で知識欲がある点は、変わらず評価しているのですが、一方で、大人も子どもも、うるさくつきまとって質問攻めにし、ゆっくり瞑想する時間も取れないと嘆いています。
ザビエルは1551年11月まで、〈2年3ヵ月滞在〉し、〈1000名内外を改宗させた〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)そうです。しかし手紙から見るに、少しばかり行き詰まっていたようです。このままでは布教失敗です。ではどうしたか。ザビエルは、日本人の仏教信仰の強さや中国人コンプレックスが問題だと考えました。
仏教はすべて中国から来たものであり、かつ日本人は「中国人が何でも知っている」と思っていた。大本の中国が改宗されれば、大きなうねりになるだろう。ザビエルはそう捉えたのでした。
ザビエルはインドに戻り、中国布教の機会を伺います。そして1552年8月、広東沖合のサンチャン(上川島)に上陸しますが、中国本土に渡ることなく、同年12月3日、熱病でこの世を去ったのでした。46歳でした。
ジャンル | 宗教/記録 |
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時代・舞台 | 1549~52年/インド、マレーシア、シンガポール、中国、日本 |
読後に一言 | 「日本人が外国人たちを馬鹿にする」というザビエルの指摘、今の日本でも同じなんじゃないかと思うと、暗澹たる気持ちになりました。そうでない日本人のほうが多いことを望みます。 |
効用 | 4巻には、ザビエルの詳細な年譜も載っています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 人びとに気に入られようと外部のことばかり気にして、内部のこと、神のこと、自分自身のことをなおざりにする時は、まったく誤った道を歩むものであることをあなたは十分承知してください。(第5章「書簡第117」) |
類書 | 日本仏教vs.キリスト教『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(東洋文庫14) 中国での布教の様子『中国の布教と迫害 イエズス会士書簡集』(東洋文庫370) |
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(2024年5月時点)