1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
様々な宗教・文化が融合する 南アジアのムスリム社会 |
〈この世ははかない仮の宿、何をそんなに騒ぐのか〉
この言葉を最後に見つけた時、本書を読んでよかったとしみじみ思ったのでした。
19世紀半ばに書かれた本書『パンジャーブ生活文化誌』は、インドとパキスタン両国北部の国境に跨がった地域「パンジャーブ」の人々の生活レポート、とでもいうべき書です。著者は同地の詩人チシュティー。件の言葉は、老人の葬儀の際に口ずさまれる詩です。
パンジャーブは歴史的に複雑な背景を持っています。彼の地は、〈インダス文明の北部中心地〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)です。豊かな平野であり、またインド亜大陸を目指す〈西および中央アジアからの侵入勢力〉(同「世界大百科事典」)に悩まされてきました。例えばアレクサンドロス大王も侵入勢力のひとつです。8世紀に始まり〈18世紀なかばまでムスリム(イスラム教徒)諸王朝が支配〉(同「ニッポニカ」)し、19世紀にはイギリスの植民地となりました。結果、〈主要言語ではパンジャービー,ウルドゥー,ヒンディー,主要宗教でもイスラム,シク教,ヒンドゥー教が並存する地方となった〉(同「世界大百科事典」)のです。
解説によれば、イスラム教の影響下にあるにもかかわらず、カースト制度が色濃く残り、〈コウム〉という血統意識の強い集団に規定された同職集団(例えば床屋、掃除人、大工、鍛冶屋など)が、農村においては〈サーヴィス・カースト〉として社会を支えています。かつ貴人と下層民の間には大きな隔たりがあります。
チシュティーが注目するのは、それぞれの層で行われている「儀礼」です。乱暴にまとめれば、生と死+婚姻。それぞれの層の儀礼を紹介することが、さまざまな人たちの生活を描くことに、結果的になっているのです。まさにここには、南アジアのムスリム社会があります。
イスラム教の受容のされ方についても詳しく紹介されます。イスラム教の教師、説教者のことを「ムッラー」というのですが、著者は彼らの存在に懐疑的です。
〈(ムッラーは)民衆に導きの明かりをともしているが、自身は実践せず、暗闇にいる〉
〈人々に善行を命ずるが、自分自身は忘れてしまう〉
同族集団・同職集団が、どんな思いで生活しているか、そこまでは本書からは読み取れません。しかし様々な宗教や国の影響を受けながらも、「カースト制」が根強く残っていることは、大きな驚きでした。
ジャンル | 風俗 |
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刊行年・舞台 | 1859年/パキスタン、インド |
読後に一言 | 『カーストの民』を読んで当欄で取り上げねば、と強く誓ったのでした。 |
効用 | 南アジアのムスリム社会を知る上で、格好の資料となるでしょう。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 灯明の下は暗闇(第七章「ムッラー」) |
類書 | フランス人宣教師が見たカーストの実態『カーストの民』(東洋文庫483) 6世紀頃の南インドの箴言集『ティルックラル』(東洋文庫660) |
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