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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 759|760

『増補 私の見た明治文壇 1、2』(野崎左文著 青木稔弥、佐々木亨、山本和明校訂)

2020/01/23
アイコン画像    幕末の戯作者たちは、
新聞記者に転身していた!

 これでも一応文学部出身なので、たまには「文学」でも講じようかと本書を手に取ったところ、文字通り目が点になりました。

 『私の見た明治文壇』とタイトルにあるのだから、作家たちの話と思うでしょ? これが微妙に違うのです。なにせ最初に展開されるのは「大新聞と小新聞の違い」。新聞黎明期の明治時代は、この差がはっきりしていたらしく、著者によるとこんな違いがあったとか。


【大新聞の特徴】①社説で政治を論じる、②文末は「したり」「せし由」などの文章体、③中流以上の知識階級が顧客、④記者は政治家や法律家、漢学者などの学者。


【小新聞の特徴】①政治に無頓着、②文末は「御座います」「ありました」などの俗談平話体、③顧客は中流以下、④記者は戯作者、狂言作者、俳人、歌人など。


 もう一つ小新聞の特色は、「小説」が掲載されていたこと。では誰が書いたか。記者が書いたのです。

 本書の作者は、仮名垣魯文の門下で元新聞記者の野崎左文。著者のいう文壇とは、新聞業界とほとんど重なっていたのです。

 明治文壇の初期の象徴というべき人物は、仮名垣魯文です。著者の評が的を射ています。


 〈魯文翁は実に明治初期に於ける戯作者の殿(しんが)りであると共に、又小新聞記者としての魁(さきが)けであつた〉


 魯文は『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋(あぐらなべ)』などの「滑稽本」で知られる戯作者ですが、戯作者は時代の変わり目に困惑しました。


 〈維新前後の戯作者に至つては迚(とて)も筆一本では顎の下は養ひ難く……〉


 やむにやまれず、小新聞で生活費を稼いだ、ということなのでしょう。数多の戯作者の中では、魯文は成功者のひとりで、〈『仮名読新聞』『いろは新聞』などを創刊・主宰、新聞記者として活躍した〉と「ニッポニカ」(ジャパンナレッジ)にもあります。

 では彼ら――初期明治文壇の文士=小新聞記者=戯作者は何を描いたのか。著者評を覗いてみましょう。


 〈唯文明の皮相のみを受売するぐらゐに止(とど)まつて世と共に推移(おしうつ)ることを知らず、小説の脚色にしても勧善懲悪の旧套を脱する事を得なかつたのである〉


 いやあ手厳しい。ここから文学が興るには、尾崎紅葉や幸田露伴の出現を待つしかなかったのです。



本を読む

『増補 私の見た明治文壇 1、2』(野崎左文著 青木稔弥、佐々木亨、山本和明校訂)
今週のカルテ
ジャンル文学/ジャーナリズム
時代・舞台明治時代の日本
読後に一言そもそも小新聞が「政治に無頓着」というのは面白い指摘でした。今の新聞も、政治を論じているフリをしているだけで、その実、無頓着なのかもしれません。ちなみに日本でいちばん売れている「読売新聞」は元々小新聞です。
効用当時の新聞社の様子がよくわかります。
印象深い一節

名言
明治初期の文壇は多く戯作者に依て維持せられ僅かに江戸文学の残喘(ざんぜん)を保つに過ぎなかつた(2巻「明治の風来山人」)
類書新聞記事から見た時代『明治大正史 世相篇』(東洋文庫105)
明治の人々へのインタビュー集『唾玉集』(東洋文庫592)
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