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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 337|420

『慊堂日暦5、6』(松崎慊堂著 山田琢訳注)

2020/02/13
アイコン画像    渡辺崋山の蛮社の獄の背景とは?
友人・慊堂の日記で振り返る

 『慊堂日暦』が書かれた1800年代の初めは、いよいよ外国船が近海に来るようになり、幕府は緊張の度合いを高めていました。知識人の中にも、外に目を向けよと唱える人が現れ始めます。それが渡辺崋山です。崋山は松崎慊堂に師事したひとりで、この当時は酒を飲み交わす友人でした。

 崋山は高野長英などの蘭学者と交わり、蘭学を研究します。

 〈崋山は1839年『慎機論(しんきろん)』を著し、(高野)長英らとともに、いたずらに世界情勢に目を覆い、人道に背く幕府の鎖国政策を批判した〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)

 蘭学を研究するだけでなく、蘭学を用いてお上批判を展開したわけですから、幕府は黙っていません。しかも運の悪いことに、幕府の文教を一手に担っていた林家出身の鳥居耀蔵が目付でした。鳥居は天保10年(1839)、崋山と同志を弾圧します。世にいう「蛮社の獄」です。

 『慊堂日暦』は急に緊迫してきます。


 〈渡辺崋山。大草奉行のために逮(とら)えらる。(中略)愕然たり。蓋し諳厄利亜(あんげりあ/イギリスの呼び名)の事を以て誣(し)いられたるなり〉(天保10年5月15日)


 慊堂は崋山の消息をたずね回ります。さらにあらゆる手を尽くし、救わんと奔走します(例えば鳥居耀蔵に何度も面会に行き、嘆願します)。

 逮捕から7か月後、同年12月18日に崋山は牢を出ます。故郷の田原藩(愛知県)での蟄居を命じられたのです。画家でもある崋山は(本書1巻に、崋山筆の慊堂肖像画あり)、画業に専念しますが生活は困窮し……。

 〈これを知った門人福田半香らは崋山の画をひそかに三河や遠州方面で売りさばいたが、やがて崋山はこのことが老中の遠州浜松藩主水野忠邦に探知されたと誤信し、主君に迷惑が及ぶことをおそれ……〉(同「国史大辞典」)。

 出獄から約2年後、慊堂は「日暦」に記します。


 〈崋山の自尽を報ず。崋山は杞憂を以て罪に罹り、また杞憂を以て死す、哀しい哉〉(天保12年10月27日)


 この国の行く末を杞憂して罪に問われ、藩主に迷惑がかかることを杞憂して自殺する。そのことを、友人の慊堂がわかっていたことだけが救いです。

 さて蛮社の獄のもう一方の当事者、鳥居耀蔵はこの3年後に失脚。〈讚岐丸亀に二三年間幽閉〉(同「日本国語大辞典」)され、明治6年にひっそりと世を去りました。



本を読む

『慊堂日暦5、6』(松崎慊堂著 山田琢訳注)
今週のカルテ
ジャンル日記
時代・舞台1836~1845年の江戸
読後に一言ちなみに鳥居耀蔵は当時、町人の間で、〈「妖怪」(耀甲斐)と仇名されて恐怖と怨嗟の的〉(同「国史大辞典」)となっていました。
効用天候や天体現象(↓)などの記述も多く、そうした面からも貴重な書籍です。
印象深い一節

名言
この夜、月は食を帯びて皆既。(天保12年6月16日/6巻)
類書江戸時代の歴史『近世の日本・日本近世史』(東洋文庫279)
崋山の手紙76通『渡辺崋山書簡集』(東洋文庫878)※ジャパンナレッジ未収録
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