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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 708

『中国奥地紀行2』(イザベラ・バード著 金坂清則訳)

2020/05/14
アイコン画像    家にいながらにして旅に出よ!
バードの中国旅~陸行篇

 65歳を迎えようとする女性を駆り立てたのは何なのだろうか。

 バードは、中国・揚子江の上流で船を下りると、陸路をさらに奥へと進む。轎(かご)を使ったりもするのだが、悪路を行くことに変わりはない。しかも、「外国の悪魔」(洋鬼子)、「外国の犬」(洋狗)、「子供食い」と地元民から罵られることもしばしばで、ある時は石をぶつけられ、意識を失ったことさえあった。自分たちの支配が十分に及んでいないチベット族の部落に行かせたくないのか、役人たちの執拗な妨害にもあった。それでも彼女は行く。


〈赤紫色に染まった空には星がきらきらと輝いた。温度計は氷点[摂氏零度]に達していた。「遠き彼方」が私を誘った。そして、旅の装備はもともとが適切なものでないために壊れてしまうに違いないとわかっていたけれども、これからに備えてぐっすりと眠った〉


 不安よりまさる好奇心! しかしこの後に訪れる冬の峠越えでは、轎かきたちが、一人また一人と倒れ、バードは何度も雪の吹きだまりに投げ出され、首まで埋まった。まるで『八甲田山死の彷徨』である。

 死が隣り合わせなのである。自分が決断したこの旅を呪ってもおかしくない。

 ところがこの雪中強行軍も、〈風がもしこのまま強まっていくと全員死んでしまうことは確実だった〉と冷静に振り返るだけで、悔いる言葉はどこにも見つからない。それどころか、すぐに人々の優しさや、風景の美しさに気持ちを向ける。

 次のくだりは、雪に埋まる前のものだが、バードの「構え」を見事に示している。


〈笑ったり歌を歌ったりしながら軽やかな足取りでラバと一体になって進む光景は、まるで絵のようだった。それを目にして私は、「生まれながらの旅行家」である喜びに浸った〉


 生まれながらの旅行家とは!

 では「旅」とは何か。


〈日常生活にまつわる義務から逸脱ないし離脱するとき,そこに旅の感覚が生ずる〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)


 この定義に従えば、たとえば日常を離れて趣味に没入することも、本の世界に浸ることも、「旅」といえよう。だとすれば、家にいてもまた、旅はできる、ということになるまいか。さあ、旅にでよう!



本を読む

『中国奥地紀行2』(イザベラ・バード著 金坂清則訳)
今週のカルテ
ジャンル紀行
舞台・時代19世紀後半の中国
読後に一言自分が65歳になった時、はたしてこんな冒険ができるだろうか。自問自答して悲しくなりました。
効用バードは最後に、中国の分析をしているが、これが秀逸。西欧諸国が中国を「病人」と見て、なめてかかることを諫めている。〈抑圧された農奴の集団ではなく自由人からなる国家である〉という指摘は的を射ている。見誤った日本は、バードの旅から40年後、泥沼の日中戦争へと突入していく。
印象深い一節

名言
私は自問した。どうして旅を続けずにおられようかと。(第二十七章「梓潼県から灌県へ」)
類書バードの記録集『イザベラ・バード 極東の旅(全2巻)』(東洋文庫739、743)
仏人女性のチベット探検『パリジェンヌのラサ旅行(全2巻)』(東洋文庫654、656))
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