1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
アラブの勝負師は、準備を怠らず。 いざとなったら裸一貫で勝負する!? |
アラビア文学の「マカーマート」は、〈即興詩人が弁舌巧みに聴衆を酔わせ,生活の糧を得るありさまを語り手を介して語る〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」「マカーマ/マカーマート」の項)という形式である。〈あるときは貧者,乞食,不具者に身なりを変え,またあるときは説教師,学徒,旅人になって,マカーマ(人の集う所)で荒稼ぎ〉(同「世界大百科事典」)する、というわけだ。
〈話に真実味持たせるは舌先を飾ってこそ〉
〈弁舌の巧みさは(聴衆の)心の魅力となる〉
との言葉も本書に登場するが、主人公の長老アブー・ザイドが高速で繰り出す言葉の数々は、まったくもって見事な“舌先三寸”なのである。
では「舌先三寸」にさらなる真実味を与えるのは何か。実は場に合わせた「準備」にある。〈あるときは貧者,乞食,不具者に身なりを変え〉とあるとおり、TPOに相応しい仕掛けを用意するのである。
私が唸ったのは、次の説話である(第二五話)。
舞台は、〈北風吹きすさぶ厳寒〉のイランのある都市。さあ、アブー・ザイドはどんな扮装で現れたか。
〈何とその老人は裸同然で肌を晒し、身体を露出させていたのだ!〉
そして街行く人に詩を吟じ、訴えるのである。
〈柄物外套でも古着にても 我が身を覆ってはくれますまいか/我が恩を求めるのでなく 神の顔を求める積もりとして!?〉
結果、見事に大量の外套をせしめるのだが、下手をすれば凍死するような大勝負である。いつものように、語り手の若者はアブー・ザイドのあとをつけ、真意を問いただす。しかしこの時すでに顔見知りで、奇妙な友情さえ芽生えている。若者は批難するのではなく、〈今後はこのような裸の技芸はしないで下さいまし!〉と、真っ先に長老の体を気遣う。
ところがアブー・ザイドは、それをはねつける。
〈裸一貫にでもならなかったら落伍者として、また糧食袋を空にして、帰ることになってしまうのだ!〉
この覚悟たるや!
騙すならとことんやる。アブー・ザイドを『麻雀放浪記』(阿佐田哲也)や、『カイジ』(福本伸行)の世界に放り込んでも、頂点を極めるのではないか。
勝負には「肝を据える」。これは万国共通であった。
ジャンル | 説話/文学 |
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時代・舞台 | 12世紀のイラクとその頃のイスラム世界 |
読後に一言 | たとえ夏の盛りだって、裸で勝負なんてできませんよ、私は。 |
効用 | 全50話のうち、15話から33話まで収録。本書の特徴は「回文」を多く載せているところ。アラブの言語文化の奥深さを知ることができます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 断固とした意志は身の安全の手綱。(第一七話 カフカルのマカーマ) |
類書 | 11、12世紀のイランの説話『ペルシア逸話集』(東洋文庫134) イスラム世界最大の旅行家の紀行『大旅行記(全8巻)』(東洋文庫601ほか) |
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