1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
紀元前の人間が歌った憂いの詩 『詩経』小雅を味わう |
数年前に、伊勢神宮の神嘗祭に立ち会う機会を得た。浄闇の中、灯明を手にした神職が外宮へ吸い込まれていく。聞こえるのは、浅沓が玉砂利を踏む音だけ。古より変わらぬ祭の姿だ。言葉を失うとはこのことだった。
そんな記憶が甦ったのは、白川静が訳した、こんな詩をよんだから。
〈夜 如何(いかん) 夜はまだき
夜 未だ央(なかば)ならず いまだ明けず
庭燎(ていれう)の光 庭燎(にはび)の光
君子至る 君 至ります
鸞聲(らんせい) 將將たり 鈴の音(ね)さやか〉
『詩経』の「庭燎(夜はまだき)」である。
夜の祭を歌った詩だ。かがり火(庭燎)が焚かれた中を祭主(君子)がやってくる。闇の中に蕭々と響くのは鈴の音だけ。鈴の音が、一層静寂さを強調する。神嘗祭とは当然別のお祭りだが、なぜかイメージが重なる。
この詩は、『詩経』の中でも「小雅」に属する。
『詩経』は一般民衆の歌謡である「国風」、貴族社会で舞楽に用いられた「雅」、宮廷で静かに歌われた「頌」に分類される。「雅」はさらに「小雅」と「大雅」に分かれ、〈宮廷、社会、戦場、歴史が主舞台で、貴族の饗宴(きょうえん)での祝福や歓迎、兵士の望郷や将軍の武勲、亡国の憂いや社会悪への憤りなどをテーマとする詩、また、周の起源や建国を歌う叙事詩〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)が多い。大雑把に分類すれば、民衆が口にしたのが「国風」、政治の中枢近くで歌われたのが「雅」といえる。
その「小雅」の少なくない数を、「国の憂い」を歌う詩が占めているのが興味深い。
〈彼には立派な家があり 積みあげた穀物がある
しかし民には幸(しあわせ)がない
天が禍(わざわい)し 攻めさいなむ
めでたしや 富める人
悲しもよ この獨り身は〉
中国の古代王朝・周が滅亡した頃の詩である。そんな混乱の中、権力を持っている一握りの人間(彼)には、家も、積みあげた穀物もある。苦しむのはいつの世も民――われわれ一般人なのである。
紀元前にこんな詩を歌ったことに感心しつつも、21世紀の今の世も、この詩とまったく変わっていないことに、しばし呆然とした。
ジャンル | 詩歌/評論 |
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時代・舞台 | B.C.1000~B.C.500年代の中国 |
読後に一言 | 白川静の訳が何ともいえない味わい。この訳によって、詩が伝えんとすることがするするっと入ってきました。 |
効用 | 本書は「小雅」全74作品を現代語訳付きで収める。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 詩篇は本來聲詩、歌う詩であった。(「詩經雅頌について」) |
類書 | 同著者による訳注『詩経国風』(東洋文庫518) 古代中国の精神文化の本質に迫る『古代中国研究』(東洋文庫493) |
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