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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 635

『詩経雅頌1』(白川静訳注)

2020/06/18
アイコン画像    紀元前の人間が歌った憂いの詩
『詩経』小雅を味わう

 数年前に、伊勢神宮の神嘗祭に立ち会う機会を得た。浄闇の中、灯明を手にした神職が外宮へ吸い込まれていく。聞こえるのは、浅沓が玉砂利を踏む音だけ。古より変わらぬ祭の姿だ。言葉を失うとはこのことだった。

 そんな記憶が甦ったのは、白川静が訳した、こんな詩をよんだから。


〈夜 如何(いかん)       夜はまだき
 夜 未だ央(なかば)ならず  いまだ明けず
 庭燎(ていれう)の光     庭燎(にはび)の光
 君子至る           君 至ります
 鸞聲(らんせい) 將將たり  鈴の音(ね)さやか〉


 『詩経』の「庭燎(夜はまだき)」である。

 夜の祭を歌った詩だ。かがり火(庭燎)が焚かれた中を祭主(君子)がやってくる。闇の中に蕭々と響くのは鈴の音だけ。鈴の音が、一層静寂さを強調する。神嘗祭とは当然別のお祭りだが、なぜかイメージが重なる。

 この詩は、『詩経』の中でも「小雅」に属する。

 『詩経』は一般民衆の歌謡である「国風」、貴族社会で舞楽に用いられた「雅」、宮廷で静かに歌われた「頌」に分類される。「雅」はさらに「小雅」と「大雅」に分かれ、〈宮廷、社会、戦場、歴史が主舞台で、貴族の饗宴(きょうえん)での祝福や歓迎、兵士の望郷や将軍の武勲、亡国の憂いや社会悪への憤りなどをテーマとする詩、また、周の起源や建国を歌う叙事詩〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)が多い。大雑把に分類すれば、民衆が口にしたのが「国風」、政治の中枢近くで歌われたのが「雅」といえる。

 その「小雅」の少なくない数を、「国の憂い」を歌う詩が占めているのが興味深い。


〈彼には立派な家があり 積みあげた穀物がある 
 しかし民には幸(しあわせ)がない
 天が禍(わざわい)し 攻めさいなむ
 めでたしや 富める人
 悲しもよ この獨り身は〉


 中国の古代王朝・周が滅亡した頃の詩である。そんな混乱の中、権力を持っている一握りの人間(彼)には、家も、積みあげた穀物もある。苦しむのはいつの世も民――われわれ一般人なのである。

 紀元前にこんな詩を歌ったことに感心しつつも、21世紀の今の世も、この詩とまったく変わっていないことに、しばし呆然とした。



本を読む

『詩経雅頌1』(白川静訳注)
今週のカルテ
ジャンル詩歌/評論
時代・舞台B.C.1000~B.C.500年代の中国
読後に一言白川静の訳が何ともいえない味わい。この訳によって、詩が伝えんとすることがするするっと入ってきました。
効用本書は「小雅」全74作品を現代語訳付きで収める。
印象深い一節

名言
詩篇は本來聲詩、歌う詩であった。(「詩經雅頌について」)
類書同著者による訳注『詩経国風』(東洋文庫518)
古代中国の精神文化の本質に迫る『古代中国研究』(東洋文庫493)
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