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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 704

『大旅行記7』(イブン・バットゥータ著 イブン・ジュザイイ編 家島彦一訳注)

2020/07/09
アイコン画像    14世紀の大旅行家が旅する
ペスト渦中のアラブ世界

 新型コロナウイルス蔓延に対し、「アフターコロナ」や「ウイズコロナ」という言い方がされる。ウイルスが完全消滅しない以上、withしかあり得ないと思うが、こうした感染症との戦いは、何も今回が初めてではない。

 カミュの小説『ペスト』がにわかに注目されたが、14世紀に中央アジアや欧州を席巻したペスト(黒死病)もまた、人類の災厄だった。〈黒死病による死者は3人に1人といわれ,ヨーロッパでは3500万人,その他を加えると,全文明世界で6000万~7000万人の死者を算したといわれる〉。さらに〈こうした恐怖と混乱〉は、〈集団異常現象〉や〈ユダヤ人の大量虐殺〉に繋がる。人口減は社会を立ちゆかなくさせ、〈宗教と学問の権威は失墜し,中世的な秩序が崩壊〉、〈近代社会誕生をうながす要因の一つとなった〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)。

 このペストの渦中に、当該地域を旅していた男がいる。

 〈中世イスラーム時代の最大の旅行家〉(同「世界文学大事典」)と称されるイブン・バットゥータ(1304~77)である。約30年にわたる口述旅行記『大旅行記』は、〈14世紀のイスラーム世界の様相を活写する史料〉(同「岩波 世界人名大辞典」)と評価されている。

 中身を見てみよう。


 〈われわれはガッザ(パレスチナ)に行ったが、疫病による死者があまりに多く、すでに町のほとんどが廃墟のように見えた〉

 バットゥータは法官に聞いた話として、ガッザの〈一日の死者の数は一、一〇〇人にも達した〉と記している。


 〈私はカイロに向かったが、報告によると、そこでの疫病の最盛期における死者の数は一日に二万一、〇〇〇人にも達し、以前に私がそこで知遇を得ていたシャイフ(長老)たちはすでにことごとく死亡していることを知った。いと高き神よ! 彼らに御慈悲を与え給え!〉

 しかも故郷の町(モロッコ)に約30年ぶりに帰ってみると、〈わが母が疫病のために亡くなったとの知らせを受けた〉。アラブ世界も故郷も、ペストによって壊滅的になっていたのである。

 だが驚くべきことに、バットゥータは悲しまない。母の死の記述もこれだけ。どういうことか。思うに死が“当たり前”だったからではないか。それがたまたま感染症だった。この「達観」こそ、冒険を成功させた理由と考えられないか。ウイズコロナのひとつの指針である。



本を読む

『大旅行記7』(イブン・バットゥータ著 イブン・ジュザイイ編 家島彦一訳注)
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ジャンル紀行
時代・舞台14世紀のアジア、アフリカ、ヨーロッパ(中国、インドネシア、インド、オマーン、イラン、イラク、シリア、エジプト、サウジアラビア、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、チュニジア、イタリア、アルジェリア、スペイン、モロッコ)
読後に一言興味のある方は、右下検索スペースより「大旅行記」と検索してください。本書の1~6巻までの過去のコラムが4本、読めます。
効用〈各地での人間や風俗,建造物や風景の記述は生彩に富み,世界文学史でも特筆すべきもの〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」「イブン・バットゥータ」の項)と評価されている紀行です。
印象深い一節

名言
私がスィーン・カラーンにいた時、その町にすでに二〇〇歳を超えた大長老がいると伝え聞いた。(「第二五章 シナの旅」)
類書同時期の東洋周遊旅行案内記『東方旅行記』(東洋文庫19)
本書の手本となった紀行『メッカ巡礼記(全3巻)』(東洋文庫868ほか)※ジャパンナレッジ未収録
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