1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
明治になって変わったこととは? 英国人ジャーナリストが見た明治 |
江戸から明治になって何が変わったか。
服装から髪型までガラリと変わったことを考えれば、明治維新が「御一新」と呼ばれた理由も合点がいく。だが具体的に何が変わったか。これを掴み取るのは難しい。そこで、外国人ジャーナリストが見た“変化”(言い換えると、日本人が気づきにくい変化)を抽出したい。
(1)「下におろう」の廃止
大名行列が通りながら「下におろう」と指図し、民衆が土下座する。江戸時代の風物詩だ。
〈ミカドの通過する間、集まっていた群衆にみなぎっていた静けさは、まことに「何事か」を感じさせた。(中略)人々はみんな、ミカドが近づくにつれて、土下座した〉
明治天皇の東京行幸である。天皇は輿(こし)で江戸に入り、人々は土下座で見送った。ところが、著者が次に天皇の行列を見た時は一変していたという。〈陛下は洋服を着て、馬車に乗り、自由に見物人に眺められていた〉
(2)人身売買の禁止
〈『年期奉公』等の名のもとに、これまで存続して来た人間に奉公を強制する慣例は、人身売買と同様に忌わしいので、今後厳禁する〉
1872年に出された太政官布告だ。これには、同年のマリア・ルズ号事件(マリア・ルース、マリア・ルーズとも)が関係しているという。この事件は、〈1872年(明治5)7月のペルー船マリア・ルーズ号による清(しん)の苦力(クーリー)売買に端を発した日本とペルーの紛争事件〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」「マリア・ルーズ号事件」の項)だ。監禁虐待を受けていた中国人労働者が横浜港寄港中の船を脱出し、救いを求めたことに端を発す。国交のないペルーと揉めるのは得策でないと反対もあったが、日本政府はこれを〈奴隷売買事件として外務省管下の裁判〉に持ち込み、〈苦力全員の釈放・本国送還を命令〉(同前)した。
大英断である。ところがこの裁判の最中、〈日本の芸娼妓(げいしょうぎ)約定が奴隷契約であると批判されたため〉(同前)、急遽、「娼妓解放令」(前述)を布告したという次第。ダブルスタンダードのまま放らず、変えた、ということを評価したい。
(3)新聞の発刊
ブラックが発刊した『日新真事誌』はそのひとつ。新聞報道によって政府は施策を変えるほどだった。
(2)は国際世論、(3)は国内世論である。明治時代もまた「世論」で大きく動いていったのである。
ジャンル | ジャーナリズム/記録 |
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時代・舞台 | 明治初期の日本(1868~1877年) |
読後に一言 | そうです。世論で時代は動くのです。お上が時代を動かすのではありません。 |
効用 | 著者のいうように、〈「些細なこと」を記録している〉と読者には思えるかもしれないが、この記録は、〈一国家の新生をありのままに話している〉ということ。教科書からは見えてこない時代の息吹を感じます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 第二の幼年期にある日本! そうなのだ! だが決して衰微しているのではない! 再生の日本!(第二十八章) |
類書 | 紀幕末~維新に活躍したイギリス公使の伝記『パークス伝』(東洋文庫429) アメリカ人が見た明治初頭『明治日本体験記』(東洋文庫430) |
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(2024年5月時点)