1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
英国人女性が「写真」で切り取った 100年以上前の東アジアとは |
津田梅子がアメリカに留学したのは、1871年(明治4)のことである。清(中国)で西太后が2度目の摂政となり政治の実権を握ったのが1875年。男女同権や婦人解放をうたったベーベル(独)の『婦人論』が上梓されたのは1879年だ。
と世界を見渡してみると、19世紀末――明治時代のはじまりは、社会の中で「女性」が“発見”された時代ともいえる。ようやく(遅きに失したが)女性たちが社会の前面へと踏み出し始めたのだ。日本では数十年すると、与謝野晶子や平塚らいてうが後に続く。
こうした時代を象徴するひとりが、イギリスの女性冒険家イザベラ・バード(イサベラとも)だ。「女性なのに」と周囲から言われたであろうことは想像に難くない。
東洋文庫および当欄ではお馴染みで、ジャパンナレッジ収録のバードの紀行は以下の3作品だ。
●『日本奥地紀行』(東洋文庫240)
●『朝鮮奥地紀行(全2巻)』(同572、573)
●『中国奥地紀行(全2巻)』(同706、708)
そして本書『極東の旅1』は、これらの旅の途中でバード本人がカメラで撮影した、100年以上も前の東アジアなのである! 例えば、「轎(かご)かきが担ぐ轎」や「揚子江に浮かぶ小さな屋形舟」の写真。『中国奥地紀行』のコラムを読んだ方ならば、「ああ、あの轎(舟)か!」と合点がいくだろう。当欄で実物の写真をお目にかけられないのが残念だが、私ならこうした移動手段に自分の命は賭けたくない。
あるいは日本の「茶店の女中」をはじめ、写真に写った朝鮮半島や中国大陸の人々の姿形は、そこに流れている時間までも切り取ったかのようだ。
〈水路の国であるということは橋の国であるということではあるのだが、中国における橋の美しさはこの国を旅する者にとってまことに驚きである〉
との趣のある紀行文には、これまた玄人はだしの美しい石橋の写真が添えられている。解説(「極東の旅2」)によれば、カメラだけで9.1kgもあったという。しかも道中、自分で現像しなければならない。スマホの時代とは訳が違うのだ。それでも道中カメラで撮り続けたバードの強い意志が写真からも感じられて、私は何度も唸ってしまった。
100年以上も前、ひとりの英国人女性は東アジアに何を見たのか。写真が雄弁に語りかけてくる。
ジャンル | 紀行 |
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時代・舞台 | 19世紀末の日本、中国、朝鮮 |
読後に一言 | バードの写真集2冊の合本です。手元に実物を置きたくなる、非常に美しい本です。 |
効用 | 100年以上も前の東アジアを「目」から捉えることができます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | この国(中国)で最も興味深く、絵のように美しい建築物といえばおそらく城門(シティ・ゲート)であろう。(「アジアへのまなざし──旅の成果としての写真集」) |
類書 | バードの日本紀行完全版『完訳 日本奥地紀行(全4巻)』(東洋文庫819ほか)※ジャパンナレッジ未収録 宣教師が見た開国以前の朝鮮『朝鮮事情』(東洋文庫367) |
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(2024年5月時点)