1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
19世紀初頭に生まれた 民間宗教の走り、如来教 |
年末年始になると「信仰」ということを考える。『語感の辞典』(岩波書店)によると、「信仰」はキリスト教などの仏教・神道以外、「信心」は仏教・神道の連想が強いというから、この場合は「信心」か。
〈信心は実利的・合理主義的な人々からは笑いものにされることがあるが,一方〈あの人は信心深い〉といえば,頼もしがられる。慈悲や敬虔,勤勉などの美徳がともなうからである〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)
信心=〈加護や救済を信じて、神仏に祈ること〉(同「デジタル大辞泉」)が美徳ならば、クリスマスも初詣も絵馬の願掛けも、日本人の美徳なのかも知れぬ。
日本人の信心を考える上で、『お経様』は興味深いテキストだ。本書は、150年も秘蔵されていた如来教の聖典である。如来教とは、〈尾張(おわり)国(愛知県)熱田(あつた)の農村女性、一尊如来(いっそんにょらい)きの(1756―1826)が開いた宗教〉で、〈如来を全知全能の創造主、慈悲の神とする〉(同「ニッポニカ」)。きのは神がかりで、如来が遣わした金毘羅が憑いた。
時は1800年代初頭。フランスはナポレオンの帝政時代、日本では徐々に異国船が近海に現れるようになっていた。尾張藩も例外なく破綻しかかっており、誰もが「救い」を求めていた時代といえるかもしれない。実際、尾張藩士の多くが如来教に入信している。
〈夫如来様は、お主達のおうな其分隔(わけへだて)はない、どのやうなものとても、皆おなじ様に可愛う思召て、にちにち泣て斗(ばかり)ござらつせるぞや〉
名古屋弁(尾張方言)で訥々と語る教祖きの。如来が毎日、皆のことを思って泣いている、と語るのだ。如来は、〈扨(さて)もむごい事でやなあ。ああ、可愛事でや〉と言って泣くのだ。神仏が自分たちのために「泣いている」という口上は、なかなかのインパクトである。
解説によれば、如来教には独自の創造神話がある。世界ははじめ泥の海で、神が人間を75人造った。だが75人は神と共に天にのぼり、その後、魔道が人間5人を創造したという。魔道が造りしゆえ、地上の人間は例外なく悪の種である。人間には何百本もの角が生えており、地獄行きは決まっている。ゆえに如来は泣いているのだ。ゆえに如来にすがって天国へ行けと教祖きのは説く。
すがりたい気持ちを私は笑えない。むしろ神仏に取り立ててすがらなくてもいい時代だと喜ぶべきか。
ジャンル | 宗教 |
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成立・舞台 | 1800年代初期/江戸時代 |
読後に一言 | 信仰心や宗教の力について、これからも考えねばならぬなあ、と思いつつの読書でした。 |
効用 | 150年も秘蔵されていた聖典です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 是一度は死(しな)ねば成(なら)ぬ。夫(それ)、死んでどこへ行(ゆく)。其行所(ゆくところ)を教(おしへ)るのじや(第一(二五〇)) |
類書 | 同時代を生きた画家・司馬江漢の随筆『訓蒙画解集・無言道人筆記』(東洋文庫309) 同時代を生きた勝小吉(海舟の父)の自伝『夢酔独言他』(東洋文庫138) |
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